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2016-01-13 ArtNo.45644
◆書評:聖霊のバプテスマ(放下着)




 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。(黙示録22:11-13)

○倶利伽羅悟道の因縁
 その昔、インドに四禅(四段階の禅定)を修し、天眼、天耳、神足、心通(他人の心を見通す)、命通(宿命を占う)の五神通力を備えた名をクリカラ(倶利伽羅:黒龍の化身)と言うバラモン僧がいた。帝釈天や閻魔大王もクリカラ尊者の法話を賛嘆したと言う。
 ところが、クリカラ尊者の法話を聞いた閻魔大王は、「これほどすばらしい法話をなさる方が7日後には地獄に堕ちねばならないとは」と落涙した。クリカラ尊者は落胆したが、天使が現れ、最近菩提樹の下で悟りを開いた釈迦ならあなたの悩みを解決してくれるだろうと教えた。クリカラ尊者は早速、梧桐(アオギリ)を両手にもって喜び勇んで、釈迦を訪ねた。




 釈迦は、クリカラ尊者を目にすると、放捨(ほうしゃ:捨てる、喜捨する、供養する)、放捨と言った。クリカラ尊者は言われた通り両手に持ったアオギリを釈迦の左右に供えた。すると釈迦はまた放捨、放捨と言った。クリカラ尊者は、「私はもう何も持っていません。この上何を放捨すればいいのですか」、と問うた。すると釈迦は「何も供養してくれなどとは言っていない。あなたの前も後も内も外もすべて捨てなさいと言ったのだ。外の6塵、内の6根、中の6識、すべて捨て去り、もはや捨てるものがなくなれば、あなたは生死を解脱することができる」と説き聞かせた。≪黒氏梵志経(こくしぼんしきょう)≫
 時代は下って、中国唐代の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778-897)に、厳陽(ごんよう)と言う僧が、「手に一物も持たざる時は如何(いかん)」と問うた。趙州和尚は、釈迦と同じように「放下着(ほうげじゃく:捨て置け)」と答えた。僧もクリカラ尊者と同じように「何も持っていないのに、さらに何を捨てろと言うのか」と聞き返した。趙州和尚は「それなら持って帰れ」と答えた。≪五灯会元≫≪従容録第五十七則≫

○再臨信仰の再構築
 十二使徒の中でただ一人ユダヤ戦争(A.D.66-74)後も生き残こったヨハネは、小アジアのエフェソスを拠点に宣教活動を続けていたようだ。




 第一次ユダヤ戦争が勃発した際、エルサレム教会信徒の多くは、小ヤコブの弟シモンに率いられ、ヘロデ王家の支配地ペレアに避難したが、ヨハネは、洗礼者ヨハネと大ヤコブ(使徒ヨハネの兄)を共に処刑したヘロデ王家の領地に行くことはさすがに避けたものと見られる。伝承によれば、彼はエーゲ海の孤島パトモスに流刑された際、洞窟で、幻のイエスから小アジアの7つの教会に対する啓示を託され、エフェソスで『黙示録』を著した。
 ヨハネ本人か、ヨハネ教団に属する長老が、ヨハネの名の下にこの書を著した目的の一つは、『キリストの再臨』という信仰を再構築することにあったものと見られる。

○カイアファの夢と現実の乖離
 『世界に散在する神の子らをエルサレムに呼び戻す(ヨハネ11:49-52)』と言う大祭司カイアファの夢は、イエス処刑の僅か1ヶ月半後に『エルサレム教会』が発足し、創設当日に3000人の異邦人が入信したことで、瞬く間に実現したかに見えた。
 原始キリスト教会が非割礼者にも門戸を開いたことから、エルサレムは、難民の逃避地として脚光を浴び、地中海沿岸各地や小アジアから多くの異邦人がエルサレムに殺到したものと見られる。
 しかし多様な信仰を保持する異邦人信徒の流入により、ユダヤ人との間だけでなく、異邦人信徒内部にさえ深刻な摩擦が生じ、結局、イエスの直弟子と解放された奴隷の会堂に属する原理主義者らを除く、異邦人信者はエルサレム城外に立ち退くことになった。

○エルサレム教会とアンティオキア教会の並立
 これに伴いパウロやバルナバは新たにアンティオキア教会を創設し、主に割礼を受けぬ非ユダヤ人を対象にした宣教活動を開始した。
 この結果、イエスの直弟子たちによる神殿の内と外における布教活動に加え、パウロやバルナバ、ルカ等のヘレニスト信者によるエルサレム城外における宣教活動が平行して進められ、ユダヤ教徒と原始キリスト教会の表面的な共生関係も形成された。





○ユダヤ戦争の勃発と蜜月の終焉
 しかし、第一次ユダヤ戦争が勃発すると、ローマ軍が侵攻する前に、エルサレム城外に退去した原始キリスト教会の信徒は、裏切り者として、ユダヤ社会からボイコットされたため、両者の蜜月時代は終焉した。この時を境に、原始キリスト教会の信者は、ユダヤ教の一派からキリスト教徒に変身したものと見られる。
 旧約ダニエル書の『七十週の預言』が成就する『終わりの日』にイエスが再臨し、イスラエルが再興されると言う期待も潰え去った。エルサレムがバビロニアによって破壊された紀元前6世紀を起点に計算し、西暦33-34年に終わりの日が到来すると考えられていた。
 原始キリスト教団は、『世界に散在する神の子らをエルサレムに呼び戻す』と言う大祭司カイアファの構想を基本的に踏襲して来たが、ユダヤ戦争で神殿のみならず、難民の受け皿として機能したエルサレム教会も消失したことから、エルサレム帰還のスローガンは、ユダヤ人に対しても非ユダヤ人に対しても、説得力を失った。したがって再臨信仰の再構築は焦眉の急務だったものと見られる。





○アルパでありオメガであるキリストの再臨
 原始キリスト教会の信者らは、当初、西暦33-34年前後にキリストが再臨し、直ちに神の王国がこの世に実現するものと期待していたようだが、西暦70年には、神殿もエルサレム市もローマ軍により破壊され、同期待は完全に裏切られた。
 このため、黙示録の著者は、神の王国は、決してそう簡単に実現するものではなく、たとえ神の王国が誕生しても、千年後には、再び悪霊が解き放たれ、地獄絵が再現すると言う、ダニエルの預言の続編を著した。とは言え最終的には、恒久的な神の王国が実現されるため、この新たな啓示を信じ、正しい信仰を持ち続けたものは、たとえ殉教しても、終わりの日に、永遠の命を得て復活できる。だから「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである(黙示録22:11-13)」と、筆者は、励ましている。
 この書の中で、キリストは『終わりの日』がすぐにはおとずれないことを暗示する一方で、『私はすぐに来る』と繰り返し述べている。つまり、アルパでありオメガであるキリストに同期さえすれば、終わりの日を待つまでもなく、即今ただいま、永遠の命を得、イエスの喜びと寸分違わぬ喜び(ヨハネ17:13)を手に入れることができる。したがって「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うにまかせよ。」放下着(ほっとけ)と言うのである。





○黙示録執筆のもう一つの理由
 ≪黙示録≫はまた、小アジアの7つの教会のうち2つの教会において、『ニコラオ派』が行っている活動は、偶像崇拝同様に憎むべき不道徳行為であると断罪している。
 『ニコラオ派』が如何なる活動をしていたのか、具体的内容は触れられていないが、≪黙示録≫と同じ時期に書かれたと見られる≪ヨハネの手紙一≫には、「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。(ヨハネの手紙一4:2-3)」と言う記述が存在する。また≪ヨハネの手紙二≫にも「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。(ヨハネの手紙二1:7)」とするとともに、「この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。(ヨハネの手紙二1:10-11)」と、この種の信者とは断交するよう求めている。
 どうやら、これらの書の著者は、肉体をもった生前のイエスの教えを軽視する、したがってまた生前のイエスを知る十二使徒を初めとする直弟子を蔑ろにするグループの台頭に脅威を抱き、こうした信者と手を切るよう求めているようだ。
 対照的に、パウロは、『コリント信徒への手紙二』の中で「ですからわたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。たとえ肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」(コリント二5:16)と述べ、さらに『ガラテヤ信徒への手紙』の中で、「自分が伝える福音は、生前のイエス本人から教えられたものでもなければ、イエスの直弟子からでもなく、パウロ自身の内に蘇った復活のイエスから伝えられたものである(ガラ1:11-12)」とし、「彼ら(小ヤコブ、ペテロ、ヨハネ等エルサレム教会の重立った人々)がどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない(ガラ2:6)」と言い切っている。
 ちなみに、≪使徒行伝≫には、エルサレム教会発足当初、ギリシア語を話すヘレニスト信者が、日々の分配のことで、ヘブライスト信者と差別されていると苦情を訴え、その結果、ステファノを初めとするヘレニストの指導者7人が選ばれ、共同体の日常業務の管理を委ねられた(使徒6:1-7)と言う出来事が記されており、ステファノとともに選出されたヘレニスト・リーダーの中にアンティオキア出身の改宗者ニコラオと言う人物が含まれていたとされる。この直後、ステファノはサンヘドリンの審問にかけられ、石打の刑に処せられ、解放された奴隷の会堂に属する原理主義グループ以外のヘレニスト信者は、エルサレム城外に退去させられた。おそらくこのニコラオと言う人物は、ステファノと同様の、したがってまた、パウロのそれに近い信仰を保持していたものと見られ、黙示録が名指しで避難したニコラオ派のリーダーと同一人物であった可能性が大きいと見られる。
 他方、≪ヨハネの手紙三≫には、「わたしは少しばかり教会に書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペスが、わたしたちを受けいれてくれない。だから、わたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちをののしり、そればかりか、兄弟たちを受けいれようともせず、受けいれようとする人たちを妨げて、教会から追い出している。(ヨハネの手紙三1:9-10)」と言う、≪ヨハネの手紙一≫および≪ヨハネの手紙二≫とは正反対の記述が存在する。
 このため、新約聖書学者の田川建三氏(大阪女子大学名誉教授)は、≪ヨハネの手紙三≫で批判的に言及されているディオトレフェスか、彼に近い人物が、≪ヨハネの手紙一≫と≪ヨハネの手紙二≫の著者ではないかと見ている(Wiki)。だとすれば、≪黙示録≫の著者も、ディオトレフェスか彼に近い人物だった可能性があるのではなかろうか。<以下次号>





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
 ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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