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『人生の初めをその終わりに結びつけてそこから踏み出すものはこの世に居てすでに神の国に生きる者である』とは西洋のさる方がイエスの一生を評した言である。イエスは三十四年の生涯の最後に只一度十字架にかかられたのではない。三十四年の生涯そのものが十字架であった。彼においては生涯を通じてすべての出来事がそのまま神のことばの成就であった。彼について定められた神の言葉が、彼の生涯の行為によって証しされた時、人類は千古不磨の経典を持ち得た。(回光子)
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このように看破した東光書院創設者の村上徳太郎は、一敗地にまみれた廃墟の日本で、機関紙『回光』を創刊し、『回光返照の退歩』を標榜する回光運動を開始しました。その実、人の一生は、始めから終わりまで、すべての行為、ひいては無為も、神のことばの成就であり、そのことを自覚したものは、『終わりの日』を待つまでもなく、また西方十万億土に旅する必要もなく、即身成仏できます。道元禅師はこの道理を『回光返照の退歩を学すべし』と述べ、『只管打坐』を勧められました。
1931年4月24日に東京都麻布区に東光書院を創設した父、村上徳太郎により1946年11月に創刊された『回光』は、後継者の兄、村上武の死により2017年8月1日号をもって停刊しました。
私こと、村上厚(回光庵返照)は、このほどAmazon Webサービスを通じてWEBサイト『http://illuminatetheselves.net』を起ち上げたのを機に、不定期のWeb/電子メール『Eko(回光)』の再刊を思い立った次第です。2023年7月31日