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2016-07-03 ArtNo.45803
◆書評:聖霊のバプテスマ(対一説、倒一説)




 第2次伝道を終えシリアのアンティオキア教会に戻ったパウロは、席の暖まる間もなく前回果たせなかったアジア州における伝道に主眼を置き、3回目の伝道を開始した。(使徒18:23)

○対一説、倒一説
 唐末五代十国の時代(907-960)に広東省韶州(しょうしゅう)の雲門山に住し、雲門宗を興した雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師に一人の僧が、「仏がその生涯を通じて説かれた教えとは何でしょう」と問うた。
 菩提樹の下で悟りを開いた釈迦は、その後、40余年にわたり、インド各地で、その時、その人の器量に応じて方便随喜の説法をされたと言うが、その教えの全体を説明しようと思えば、経・論・律三蔵から成る大蔵教を全て説き聞かせねばならない。




 ところで、禅宗各派には、それぞれ特徴的な宗風が存在し、臨済の『四喝』、曹洞の『五位』などと言われるが、雲門宗には、「一句の中に須く三句を具すべし」と言う教えが存在する。「一句をもって、1.乾坤を涵蓋(かんがい)し、2.波に随い浪を逐い、3.衆流を截断せよ」と説いた雲門禅師の教化(きょうげ)の方式は、極めて独特で、学人を乾坤ともども鷲づかみにするかと思えば、あたかも自分の手足の爪を切るように煩悩の衆流を裁ち切り、学人の思いに任せた。
 今回、仏の教えの全体像を問われた雲門禅師は、律・経・論三蔵の説明などせず、ただ一言、「対一説(たいいっせつ):真っ直ぐ行け」と答えた。
 ところが、この僧は、雲門の答えに満足できなかったようで、日を改めて、「目前の機(はたらき)も、目前の事(現象)も超越したところを伺いたい」とさらに質した。すると雲門は「倒一説(とういっせつ):それならひっくり返せ」と答えた。

○パウロ、第三次伝道開始
 第2次伝道を終えシリアのアンティオキア教会に戻ったパウロは、席の暖まる間もなく前回果たせなかったアジア州における伝道に主眼を置き、3回目の伝道を開始した。(使徒18:23)
 しかし、聖霊の禁を犯して決行したアジア州における布教は、パウロとエルサレム教会の関係を悪化させただけでなく、アンテイオキア教会の内部でさえ、バルナバ等との溝を深める結果を招いた。




 パウロは、第二回伝道の帰路、ギリシアのコリントで知り合ったポントス州出身のテント職人プリスキラとアキラ夫婦を、アジア州の州都エフェソに残しており(使徒18:19)、その時点で、不退転の決意を固めたのだろう。
 ちなみに≪使徒行伝≫は、パウロとの最初の出会い(使徒18:2)を除き、常に妻のプリスキラを先に、夫のアキラ後に記述している。このことからパウロをサポートする上で、妻の方が重要な役割を演じていたことが窺える。

○アポロと12人の弟子
 パウロがまだガラテヤやフリギアを巡回しているころ、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に精通したアポロという雄弁家が、エフェソにやって来た。彼は会堂で大胆にイエスの道を説いたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。そこでプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明するとともに、ギリシアのアカイア州に赴くアポロのために、かの地の兄弟姉妹が彼を歓迎するよう紹介状を書いて送り出した。アポロはアカイア州に着くと、公開討論を通じ激しい語調でユダヤ人たちを論破し、メシアはイエスであることを立証した。(使徒18:24-28)




 アポロがアカイア州のコリントで活動している頃、パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「聖霊のバプテスマを受けたか」と言うと、彼らは、「そんなことは、聞いたこともない」と答えた。パウロが「では、どんな洗礼を受けたのか」と聞くと、「ヨハネの洗礼だ」と言った。そこで、パウロは「ヨハネは、イエスの来臨に備え悔い改めの洗礼を施したに過ぎない。聖霊のバプテスマこそ究極の救いであり、イエスの教えの真髄である」と説き聞かせた。≪使徒行伝≫は、パウロがエフェソで出会ったこの弟子たちが、具体的に誰の弟子なのか述べていないが、文脈から見て、アポロの信奉者だったのだろう。≪使徒行伝≫は「これらの弟子の数は合計12人だった」と付言、『十二使徒』の物語の異なるバージョンが存在したことを暗示している(使徒19:1-7)。イエスと言う名は、イスラエルの民をカナンに導いた将軍ヨシュアのギリシア語訳で、『ヤハウェは救い』を意味する。このため、イエスを名乗る救世主がイスラエルのみならず、地中海沿岸の他の地域にも出現したものと見られる。

○私が植えて、アポロが水を注ぎました




 ちなみに、≪使徒行伝≫が伝えるこのアポロと言う人物は、小アジアのティアナで生まれ、パウロの故郷タルソスで教育を受けた新ピタゴラス派の哲学者、アポロニウスと同一人物と見られ、後者はインドまで旅して、インド哲学も修めたとされる。
 パウロの書簡によると、アポロが、アカイア州にわたった後、エルサレム教団も宣教師を派遣したため、同地のコリント教会には、アポロ派、パウロ派、ペテロ派、キリスト派と言った分派活動が生じた。(1コリント1:11-13/3:4)
 第3回伝道旅行中にエペソスで書いたと見られる≪コリント人への手紙第一≫の中で、パウロは「アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです(1コリント3:5-8)」と述べいる。つまりアポロの説く道を選ぼうが、パウロが説く道を選ぼうが、キリストが説く道を選ぼうが、ムハンマドが説く道を選ぼうが、聖霊のバプテスマを受け、神に帰一しさえすればよいのである。ひたすらパウロが説く道を真っ直ぐ行く(対一説)もよし、あべこべ(倒一説)もまた真である。
 しかし、パウロは、異邦人に割礼を強いるエルサレム教団ばかりでなく、グノーシス的背景を有するアポロ派も激しく非難するようになり、かえって両派の挟撃にあい孤立したようだ。

○逆鱗に触れたパウロ




 パウロがエフェソに2年間滞在し、精力的に伝道を行ったため、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くようになった(使徒19:10)と≪使徒行伝≫は述べている。
 つまりパウロは、未割礼のギリシア語を話す異邦人のみならず、割礼を受けたユダヤ人に対しても『モーセの律法に依らず、信仰によって義と認められるイエスの道(ローマ3:28)" 』を説いたのである。
 いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々のみならず、エルサレム教会の主流派や、さらには勅許状を与え、ダマスカスにおけるパウロの布教の後ろ盾を務めたハナン家(アンナスやカイアファ等の大祭司一族)も、こうしたパウロの行為は、第1回使徒会議の合意を逸脱するものと受け止めたに違いない。

○解放された奴隷の会堂
 テレアビブ大学の歴史学者シュロモー・サンド教授は、西暦1世紀のユダヤ国内の人口が80万人前後であったのに対して、全世界のユダヤ教徒の人口は400万人にのぼり、最盛期にはローマ帝国住民の7~8%占めたと述べているが、≪使徒行伝≫が伝えるキレネ、アレクサンドリア、キリキア州、アジア州等の出身者から成る『解放された奴隷の会堂』に属する人々こそ、異邦人ユダヤ教徒のこうした爆発的増大の先兵を務めたものと見られる。




 地中海沿岸各地で発生し、終にユダヤ教の総本山エルサレムに押し寄せた教会運動も元を質せば、彼らの運動から派生したものである。つまり『解放された奴隷の会堂』の貢献がなければ、キリスト教もイスラム教も誕生せず、中国や日本における禅文化の開花もなかったかも知れず、現代イスラエル国の誕生もなかったことだろう。
 彼らの布教活動により割礼を受け、ユダヤ教に改宗した北アフリカの異邦人はイベリア半島にわたり、現代ユダヤ教徒三系統の一つスファラディ(ヘブライ語でスペインを意味する)を形成、8世紀にユダヤ教に集団改宗したコーカサス北部のハザール人は、モンゴル人の侵攻に遭いヨーロッパに移動し、別の系統アシュケナージ(ヘブライ語でドイツを意味する)を形成、中東や北アフリカの異邦人ユダヤ教徒はもう一つの系統ミズラヒ(ヘブライ語で東を意味する)を形成したとされる。
 教会運動の担い手を務めたヘレニスト信者は、エルサレム教会発足当初に発生したステファノの殉教事件後、エルサレム城外に退去させられ、別途アンティオキア教会を創設したが、『解放された奴隷の会堂』に属する人々は、エルサレム教会主流派とともにエルサレム城内にとどまった。
 こうしたことから、『解放された奴隷の会堂』は、大祭司一族ハナン家のみならずナジル派(ユダヤ教原理主義グループ)の祭司でエルサレム教会初代司教を務めた小ヤコブとも親密な関係を保持していたものと見られる。
 対照的に、ステファノを石打の刑に処したグループのリーダーで(使徒7:58)、ヘレニスト信者とヘブライスト信者の棲み分け計画の指揮をとった(使徒8:3)パウロは、その直後に大祭司の勅許状を手に入れ(使徒9:2)ダマスカスに渡ると、直ちにヘレニスト・グループの運動に加わったことから、『解放された奴隷の会堂』に属する人々から裏切り者として命を狙われることになったようだ。

○解放奴隷が西暦1世紀にロンドンに金融街形成




 ナショナル・ジオグラフィックの報道によれば、ブルームバーグが欧州本部新社屋を建設中のロンドン金融街の建設現場から、西暦1世紀の木簡が大量に出土、そこには、「私、ウェネストゥスの解放奴隷ティブルスは、スプリウスの解放奴隷グラトゥスに対し、配達された商品の代金として105デナリウスの支払い義務を負っています…」と言った記述が見られた。また、別の木簡には「ウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)からロンドンまで、荷車20台分の食料を運ぶ」と記され、日付は西暦62年10月22日だった。
 元オックスフォード大学の古典学者で、木簡の解読と翻訳を担当したロジャー・トムリン氏によると、ロンドンとセント・オールバンズがともに破壊され、7万人が犠牲になったケルトの女王ブーディカの反乱が鎮圧された直後のことと言う。
 廃墟の地で、荷車20台分の食料を運ぶほどのビジネスが早くも復活していたこともさることながら、より興味深いのは、こうしたビジネスが、解放奴隷を自称するビジネスマンにより営まれていたこと。ローマの支配がまだ脆弱な辺境の地で、ローマ人やケルト人を相手にビジネスを営んでいた解放奴隷とは一体どんな人々だったのだろうか。解放された奴隷の会堂のメンバーが、北アフリカからイベリア半島を経由してブリテン島にまで勢力を拡大、早くも西暦1世紀にロンドンに金融街を形成していたのだろうか。
 ウィキペディアによれば、ローマの貴族や皇帝は、クリエンテス(郎党)を増やすために、また農園その他のビジネスや財産の管理を委ねるインセンティブとして奴隷解放に熱心だったようだ。とは言え、肉体労働に従事する奴隷が解放されることは希だった。裏返して言えば、解放奴隷は当時のエリートで、加えてローマの市民権も手に入れることができたと言う。

○銀細工師らが野外劇場で抗議集会




 アジア州における伝道と言う所期の目的をほぼ達成したパウロは第二回伝道で訪れたギリシア地方のマケドニア州、アカイア州を再訪した後、海路エルサレムに戻り、改めてローマ伝道に乗りだそうと考えた。そこで、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。(使徒19:21-22)
 ちょうどその頃、アルテミスの神殿の模型造りに携わるデメトリオという銀細工師が、同業者らを招集し、「パウロはエフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で『手で造ったものなどは神ではない』と説いている。このままでは偉大な女神アルテミスの神殿が蔑ろにされ、我々の仕事も失われる」と述べたことから、エフェソの町中が混乱に陥った。群衆はパウロの同行者のマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、野外劇場で他のユダヤ人らと一緒につるし上げた。
 パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。またパウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないよう求めた。
 そこで町の書記官が立ち、「デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。こうした状況では、我々は暴動の罪に問われるおそれがあり、この無秩序な集会に関しては、何一つ弁解することはできない」と群衆を説得、解散させた。(使徒19:21-41)

○ユダヤ人の陰謀を察知し帰路を変更




 エフェソの騒動が収まった後、マケドニアに旅立ったパウロは、さらに南下、クリントスに3ヶ月滞在し、そこからシリア州に船出しようとしたが、ユダヤ人による陰謀を察知したため、またマケドニアに戻り、≪使徒行伝≫の著者ルカと一緒に、フィリピから船出し、アナトリア半島西端の港トロアスに渡った。ここで、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモらと合流したパウロは、7日間そこに滞在した(使徒20:1-6)。パウロは、その間に、イエスが十二使徒に対して行ったように、これらの弟子たちにパンを割き与え聖餐を共にした(使徒20:7/11)。ルカを含む随員は7日目にアソスに向けて船出したが、パウロ自身は徒歩でアソスに赴き、そこから全員で、海路、ミティレネ、サモス島を経てミレトスに着いた(使徒20:13-15)。
 ≪使徒行伝≫はユダヤ人の陰謀の具体的内容を明らかにしていないが、恐らくパウロは、第一回使徒会議の合意を逸脱したアジア州における布教問題を巡り、エルサレム教会もしくは大祭司から召喚状を受け取り、命の危険に晒されるほどの状況の変化がエルサレムで生じたことを察知したものと見られる。つまりペテロや小ヤコブばかりでなく、バルナバやマルコの支援も期待できない孤立無援の状況に陥る恐れがあったため、マケドニアに戻りルカと対策を協議、その結果、マケドニアのルカ、ベレアのソパトロ、テッサロニケのアリスタルコおよびセクンド、デルベのガイオ、ルステラのテモテ、アジア州のティキコおよびトロフィモ等、各地の信徒代表から成る一大援護団を組織、彼らを引き連れてエルサレムに乗り込む方針を決めたものと見られる。

○惜別の辞




 パウロは、五旬節までにエルサレムに赴くため、敢えてエフェソに立ち寄らなかったが、エフェソに人をやって、教会の長老たちをミレトスに呼び寄せた(使徒20:16-17)。パウロは集まった長老たちに「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、わたしは、あなたがたに御国を宣べ伝えたこのわたしの顔をあなたがたの誰一人も二度と見ることがないことを分かっています。だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」と、まるで死地に赴くような悲壮な決意を披瀝するとともに、「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」と、エルサレムから派遣される宣教師達を残忍な狼どもと呼び、警戒するよう求めた(使徒20:18-31)。
 人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った(使徒20:37-38)。--以下次号--





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
 ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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【参照】

○《碧巌録》第十四則:雲門対一説
 挙(こ)す、僧、雲門に問う、如何なるか是れ一代時教。
 雲門云く、対一説(たいいっせつ)。

○《碧巌録》第十五則:雲門倒一説
 挙(こ)す、僧、雲門に問う、是れ目前の機にあらず、亦(ま)た目前の事(じ)に非ざる時、如何。
 門云く、倒一説(とういっせつ)
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