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2019-01-06 ArtNo.46514
◆書評:聖霊のバプテスマ(ハヌカ)
 ガリラヤのユダが息子のヤコブおよびシモンと共に反乱を起こした当時、イエスは十歳前後だったと見られるが、イエスの弟たちには、これら三人の名が付けられただけでなく、その内の一人は熱心党員だった。
 イエスが仮に熱心党の牙城ガリラヤで弟達と一緒に成長したとすれば、旧約の創造神を否定し、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と説く『Q語録』のイエスの教えは、誕生しなかっただろう。
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○賢い漁夫の譬え
 そして、彼が言った、「人間はその網を海に投じた賢い漁夫のようなものである。彼はそれを小魚で満たして、海から引き上げた。それらの中に彼は一匹の大きな良い魚を見出した。つまり賢い漁夫がである。彼は小魚を全部海に投じた。彼は大きな魚を選び出して、苦労するところがなかった。聞く耳あるものは聞くがよい。」(トマス8)

『一匹の大きな良い魚』は『本来の自己=至高神』の隠喩。一匹の大きな魚だけを捕まえようとしてもなかなか捕まえることができないが、大きな網で大きいものも小さいものも一網打尽にし、それから小さいものを全部海に逃がしてやれば、大きなものが最後に残る。そうすれば逃がした小さな魚も大きくなってまた戻って来る。こうすれば常に大きな魚を確保できる。『苦労』は『本来の自己』を見出す過程でどうしても経験せねばならないものだが、漁夫のように賢くあれば、安楽に到達できる。
 『聞く耳あるものは聞くがよい』は、聴衆や福音書の読者には、言葉の背後の意味を理解できるものも、できないものも存在することを前提にしたイエスの常套語。Q語録のイエスの言葉は、共観福音書の著者により様々な場面に引用され、異なる解釈が施されているが、イエスもそんなことは百も承知していたことだろう。イエスの言葉の背後の意味は、能力の異なる様々な人が、それぞれの置かれた環境の中で答えを見いだす他ないもので、様々な理解があって当然である。その際、現世の知識は理解の妨げになる場合もある。
 この節の並行記事は、新約正典の中では、『マタイ福音書』にだけ存在する。
 また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。(マタイ13:47-48)

 『トマス福音書』では、『人間』が主題だが、『マタイ福音書』では、『天国』が主題になっている。日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏は、「この話の内容は、『天国』の説明に用いるのは無理があり、もともとは『人間論』が主題であったものと見られる」と注釈を付けている。

○律法学者の役割
 また『マタイ福音書』は、以下の記述を補足し、このたとえ話を終末論に結びつけた上、律法学者の役割にまで触れている。
 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、律法学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。(マタイ13:49-52)

 『新しいものと古いもの』とは、『新約』と『旧約』を指しており、その双方を取り出すのが、教会運動に加わった律法学者の役割とし、『エルサレム教会』を率いたイエスの弟小ヤコブが、それらを『倉から取り出す一家の主人』の役割を担っていることを暗示している。





○対一説
 時代は下って、中国の唐末五代十国の時代(907-960)に広東省韶州(しょうしゅう)の雲門山に住し、雲門宗を興した雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師に一人の僧が、「仏がその生涯を通じて説かれた教えとは何でしょう」と問うた。
 菩提樹の下で悟りを開いた釈迦は、その後、40余年にわたり、インド各地で、その時、その人の器量に応じて方便随喜の説法をされたと言うが、その教えの全体を説明しようと思えば、経・論・律三蔵から成る大蔵教を全て説き聞かせねばならない。しかし雲門禅師は、律・経・論三蔵の説明などせず、ただ一言、「対一説(たいいっせつ)」と答えた。
 この公案は、禅修行の最終段階で参じる大難透(だいなんとう)の公案の一つとされ、古来様々な解釈がなされて来たようだ。碧巌録の監修責任者、圜悟克勤禅師(1063-1135)は、「多くのものは『対一説』の意味を誤って理解している。あるものは『一刹那の機宜』と言い、またあるものは『森羅万象はそれぞれ法の顕現でありこれを対一説と言う』などと述べているが、実は皆分かっていない。永嘉大師(665-713)も『証道歌』の中で『粉骨砕身も未だ酬いるに足りず、一句了然として百億を超ゆ』と慨歎されている」と注釈している。圜悟禅師のこの評唱からも、Q語録のイエスの言葉同様、師家と学人の室内の商量の過程で各公案が様々に解釈されて来たことが窺える。





○ハシディームの系譜
 ところで、イエスと言う名は、エジプトを脱出したユダヤ人を最終的にカナンの地に導いたモーセの後継者ヨシュアのギリシア語訳で、『ヤハウェは救い』を意味したが、母マリア`は、三人の弟に、紀元前2世紀にギリシア人を追い出し、神殿を清めたマカベア家にちなんだヤコブ、シモン、ユダと言う名をつけており、内一人は熱心党員だった。
 もしイエスが熱心党の牙城ガリラヤで弟達と一緒に成長したとすれば、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と説く『Q語録』の教えは、誕生しなかったろう。
 エジプトのプトレマイオス朝からパレスチナを奪い返したセレウコス朝のアンティオコス3世は、ユダヤ人の自治と信仰の自由を認めたが、その息子アンティオコス4世エピファネスは、神殿にゼウスの祭壇を設け、ユダヤ人に豚肉を献げるよう強制した。エルサレムの北西モディンの祭司マタティアとその5人の息子に率いられるハシディーム(敬虔なユダヤ教徒)と称するグループが反乱を起こし、マタティアの息子ユダが率いる反乱軍は紀元前165年12月終に神殿を占拠し、これを清めた後、神に神殿を奉献した。このためユダヤ人は毎年12月にこの事件を記念してハヌカ(宮の清め/奉献)の祭りを祝う。世に言うマカバイ戦争はその後も継続され、ユダが戦死した後、後を継いだ弟のシモンがハスモン朝を樹立した。





○ガリラヤのユダと熱心党
 ハスモン朝の将軍だった父からガリラヤの知事を委ねられたイドマヤ出身の非ユダヤ人ヘロデは、ハスモン朝の宮廷闘争にローマが介入した機会を捉え、王権を簒奪した。ヘロデがまだガリラヤの知事であった時、ヒゼキアと言う者が反乱を起こした。この反乱はヘロデにより鎮圧されたが、エルサレムの最高法院(サンヘドリン)はかえってヒゼキアを義人と称賛したためヘロデは、窮地に立たされた。
 大王と称されたヘロデが紀元前4年に亡くなると、3人の息子が国土を分割統治したが、ハスモン朝の末裔を自称するヒゼキヤの息子ユダが、セッフォリスの住民を扇動して、ローマに反旗を翻した。しかしシリア総督プブリウス・クィンクティリウス・ウァルスにより鎮圧され、ユダは逃走した。
 ヘロデ大王の長男アルケラオの失政から西暦6年にユダヤ地方がローマの直轄地になると、これに反抗して西暦7年に再びガリラヤのユダが蜂起、セッフォリスに攻め入り、武器庫と王宮を荒らした。しかし結局鎮圧され、仲間2000人と共に十字架に処せられた。
 『ユダヤ戦記』の著者フラウィウス・ヨセフスによると、この時、『ガリラヤのユダ』と称するものが、ユダ地方の民衆にローマに税を払わぬよう説き、組織した秘密結社が『熱心党(ゼロテ)』と言う。ファリサイ派の律法学者でもあったユダにより率いられたハシディームの流れを汲む熱心党を、ヨセフスは、ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派と並ぶユダヤの第四哲学と称した。なお洗礼者ヨハネと緊密な関係を有したとされる死海のほとりクムランを拠点に活動したクムラン教団も、熱心党やエッセネ派同様、ハシディームの流れを汲む宗教、政治結社と見られる。





○小ヤコブは生まれながらのナジル人
 ガリラヤのユダが息子のヤコブおよびシモンと共に反乱を起こした当時、イエスは十歳前後だったと見られるが、イエスの弟たちには、これら三人の名が付けられただけでなく、その内の一人は熱心党員だった。
 『教会史』を著したギリシア人教父エウセビオス(260-340)やヘゲシッポス(90-180)はヤコブに関して、洗礼者ヨハネのように、生まれながらの『ナジル人』であったと述べている。四世紀の神学者エピファニオスは、ヤコブが、ダビデの後裔として祭司のみに許されていた神殿の聖所に入り、その所属するコミュニティーのために祭儀を執り行っていたと述べている。
 このコミュニティーは一般にイエスを信奉するナザレ派(Nazarean)と解されているが、それでは辻褄が合わない。何故ならイエスは『予言者は故郷に入れられず(マタイ13:57/マルコ6:4/ルカ4:24/ヨハネ4:44)』と述べ、ナザレではほとんど説教することがなかったからだ。スウェーデンの言語学者アルヴァル・エレゴール氏(1919–2008)は、ナザレ派(Nazarean)は、『ナツォレアン(Nazorean)』の誤記と見ている。エルマーR.グルーバー/ホルガー・ケルステン(Elmer R. Gruber & Holger Kersten)両氏の共著『イエスは仏教徒だった?(The Original Jesus - Buddhist Sources of Christianity)』によると、『ナツォレアン』は、『神の秘密を守るもの』と言う古代バビロニアのナツァル(nasaru)またはナツィル(nasiru)と言う言葉に由来し、洗礼者ヨハネも『ナツォレアン』と呼ばれていたと言う。





○イエスの誕生とエジプト行
 先に述べたように、イエスが仮に熱心党の牙城ガリラヤで弟達と一緒に成長したとすれば、旧約の創造神を否定し、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と説く『Q語録』のイエスの教えは、誕生しなかっただろう。こうした観点からヨセフとマリアが乳飲み子のイエスを連れてエジプトに赴いたと言うマタイ福音書の記述は示唆的である。
 カエサル・アウグストゥスがローマ帝国全土の国勢調査を命じたことから、ヨセフはガリラヤ南部のナザレから、9ヶ月の身重のいいなずけマリアをつれて南部のベツレヘム・エフラタに赴いた。国勢調査のため、誰もが出身地に戻る必要があり、ダビデの家系に属するヨセフはベツレヘムのエフラタに帰らねばならなかった(ルカ2:1-5)。
 ちなみに一般に信じられているイエスが誕生したとされる紀元前4年、あるいは西暦元年に国勢調査が行われたと言う記録はない。初代ローマ皇帝アウグストゥスの葬儀碑文によると、アウグストゥス治世下の国勢調査は紀元前28年、同8年、そして西暦14年に都合三度行われたようだ。もしルカ福音書の記述が史実に基づくものとすれば、最も可能性の高いのは、紀元前8年の国勢調査で、その場合イエスの誕生の年は若干早まることになる。広大なローマ帝国のこと、紀元前8年に開始された第二回目の調査がパレスチナ地域では、あるいは、紀元前4年まで遅延したのかも知れない。もう一つ補足すれば、三回の国勢調査の対象はローマの市民権を有する者だけで、結果は次の通りだったと言う。紀元前28年:406万3000人、紀元前8年:423万3000人、紀元後14年:493万7000人。




 こうしてイエスはベツレヘムのエフラタで生まれた(ルカ2:6)。しかし国勢調査の登記を終えたヨセフは、なぜかガリラヤに戻らず、マリアと乳飲み子をつれて、エジプトに渡った(マタイ2:14)。マタイ福音書は、当時ユダヤ地方を支配していたヘロデ大王が、救世主が誕生すると言う預言を耳にし、二歳以下の男児を全て殺害するよう命じたためと述べている(マタイ2:16)。しかし、ヘロデ大王の幼児虐殺の記録は、マタイ福音書以外には存在しない。
 当時のベツレヘムの人口はせいぜい300~1000人程度で、若し虐殺があったにしてもその数は20~30人程度と見られ、当時の専制君主はこれを越える虐殺を頻繁に行っていたため、ヨセフスや他の歴史家が記録する価値を見いださなかったのかも知れない。しかし正教会の伝承では虐殺された幼児の数は1万4000人、シリア教会の聖人伝では6万4000人と述べられている(日本語版wiki)。
 マタイ福音書は、「これは旧約エレミヤ書31章15節の預言の成就」と付言しており(マタイ2:17)、どうやらヘロデ大王の幼児虐殺事件は、イエスの生涯を旧約聖書の預言の実現として描こうとするマタイの意図によって創作されたエピソードらしい。
 数年エジプトに滞在した後、ガリラヤに戻ったヨセフは、正式にマリアと結婚したようだが、ヨセフはイエスをエジプトに残したのではなかろうか。とすれば、ヨルダン川に突然たった一人で現れ、ヨハネから水の洗礼を受ける(マルコ1:9/マタイ3:13/ルカ3:21)まで、イエスがどこで何をしていたのか、また、イエスが十字架に処せられた日、はるばる北アフリカから息子のアレクサンドロとルフォスを連れてエルサレムを訪れたクレネ人のシモンがイエスに代わってゴルゴダの丘まで十字架を担いだ(マルコ15:21/マタイ27:32/ルカ23:26)と言う福音書の記述も頷ける。





○クレネ人シモン
 イエスが十字架を負わされ、ゴルゴタの丘に行く途中、シモンと言うクレネ人が通りかかったので、ローマ兵は、この男に替わって十字架を負わせたと言う記述が、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書の何れにも存在する。特にマルコ福音書は「シモンはアレクサンドロとルフォスの父であった」と注意書きをつけている。マルコ福音書のこの注意書きは、アレクサンドロとルフォスが当時のキリスト教会における著名な指導者であったことを暗示している。
 3福音書はいずれもシモンはクレネの田舎から来たと述べているが、クレネは当時アレキサンドリアに並ぶ地中海に面した一大都市だった。またローマ兵が、政治犯として処刑されるイエスの十字架を、見ず知らずの通行人に負わせるとは考え難い。おそらくイエスに替わって十字架を運ぶ役目は、最初からシモンが務めることになっていたのだろう。さもなければ、福音書の記者らがその出身地や名前を知り得るはずもない。
 一方、パウロは、≪ローマ信徒に宛てた手紙≫の末尾に「主がお選びになり信者に加えられたルフォスとその母親に宜しく。彼女は私の母でもあります(ローマ16:13)」と記している。
パウロが『主がお選びになり信者に加えられた』と述べているところからすると、ルフォスはイエスの生前の弟子だったようだ。もしルフォスがシモンの息子と同一人物なら、イエスが直々にシモンを選び、十字架を運ぶ役割を委ねたのかも知れない。
 さらに、ただごとでないのは、パウロがルフォスの母親に関して「彼女は私の母でもあります」と述べていること。パウロがルフォスの同母兄弟と言うことはあり得ないから、ルフォスの母は、パウロを回心させた『霊的な母』だったのではなかろうか。





○宮の清め
 ヨセフとマリアが乳飲み子を携えてアフリカにわたってから三十有余年が経過した西暦28年ユダヤ暦11月、洗礼者ヨハネの証言を聞くため、サンヘドリンから派遣された祭司とレビ人の代表がエルサレム郊外のベタニヤに参集した(ヨハネ1:19)。ヨハネは彼らに「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中にたっておられる。その方がわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつひもを解く値うちもない」と語った(ヨハネ1:26-27)。この記述からすると、イエスはサンヘドリンから派遣された祭司やレビ人の代表団の一員に含まれていたようだ。こうしてエルサレム宗教界の表舞台にデビューしたイエスは、その1ヶ月後の過ぎ越の祭りに、弟子達とともに神殿に赴き、商人らを神殿から追い払い(ヨハネ2:13-25)、そのままユダ地方にとどまると、聖霊のバプテスマを施す活動を開始した(ヨハネ3:22)。
 ヨハネ福音書の以上の記述から、神殿の商人を追い出したイエスの行為は明らかに、マカバイ戦争でエルサレム神殿をギリシア人から奪回したハヌカの故事を念頭に計画されたもので、ハシディームの流れを汲む洗礼者ヨハネの元弟子大ヤコブ/ヨハネ兄弟やペテロ/アンデレ兄弟、さらには原理主義グループ、ナジル派のリーダー小ヤコブやその弟達の思想信条が反映されていると言える。
 とは言え、旧約の創造神を否定し、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と説く『Q語録』のイエスの教えとはかけ離れている。しかし、イエスは、ベタニアで洗礼者ヨハネの証言を通じてエルサレム宗教界にデビューした時点で、『宮の清め』を断行しイスラエル再興運動の象徴としての役割を務めることを決意していたものと見られる。そしてこの計画は、大祭司が議長を務めるサンヘドリンの承認を得たものであったことを、ヨハネ福音書の記述は暗示している。

○余聞
 余談になるが、ガリラヤのユダが息子のヤコブおよびシモンと共に反乱を起こした当時、イエスが10歳前後で、弟たちに、これら三人の名が付けられたとすれば、イエスと弟のヤコブは少なくとも10歳の年齢差があったはずである。十二使徒には小ヤコブの息子のユダも含まれていた。仮にこのユダが20歳だったとすれば、父親の小ヤコブは40代以上だったと見られる。とすれば、それよりも少なくとも10歳上のイエスが処刑された年齢は50歳を越えていた可能性が高い。
 また、イエスの父ヨセフが、ルカ福音書の記述通りローマ市民にのみ義務づけられた国勢調査のため、ベツレヘムのエフラタで自身と乳飲み子イエスの登記を行ったとすれば、イエスもローマ市民権を保持していたことになる。<以下次号>





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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