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2019-09-19 ArtNo.46601
◆書評:聖霊のバプテスマ(ぶどう園の譬え)




 世界の人口の54%に相当する36億人が信仰している『アブラハムの宗教』は、ユダヤ教徒やキリスト教徒それからイスラム教徒などが始祖として認めている旧約聖書の主要人物、アブラハムと神との契約に基づくものとされる。
 イスラエルの異名を持つヤコブの異なる子孫をそれぞれ氏神とする12部族の聯合体イスラエルの統合の宗教として誕生したユダヤ教の信奉者は、アブラハム、イサク、ヤコブを三人の聖書上の父と崇め、中でもアブラハムを宗教的アイデンティティーの原点と見なしている。
 自らを新しい契約の下で、アブラハムの家系図に接ぎ木されたと位置づける異邦人(非ユダヤ人)キリスト教徒も、精神的な祖先としてアブラハムを尊崇している。
 イスラム教徒は、アラブ人の開祖ムハンマドを、アブラハムの長男イシュマエル(イサクの異母兄)の嫡流と見なしている。
 アブラハムの宗教を構成するこれらの宗教の教義には大きな違いが存在するものの、何れも旧約聖書の記述を信仰の根幹に据えている。しかし最近の考古学的発見から旧約聖書の多くの記述が、メソポタミアの古代シュメール神話を起源としていることが明らかになった。

○洪水伝説




 アッシリアのアッシュル・ナシルパル二世が紀元前9世紀に築いたニムルドの遺跡が1845年に英国の考古学者オースティン・レイヤードにより発掘され、『アッシュル・バニパル王図書館』秘蔵の楔形文字粘土板2万数千点が採取された。
 それから27年を経た1872年に大英博物館の楔形文字研究者ジョージ・スミスは、『アッシュル・バニパル王図書館』の粘土板からバビロニアの洪水伝説の記述を発見した。旧約聖書のノアの洪水と瓜二つのこの洪水伝説は、その後、シュメールの都市国家ウルク第一王朝第五代国王に擬えられる『英雄ギルガメシュの叙事詩』の一部であることが判明した。
 ウル西方6キロに位置するウバイド遺跡に由来するウバイド文化(紀元前5500年頃-紀元前3800年頃:灌漑農業主体)が消滅後、シュメール最古のウルク王朝が、紀元前3500年頃に成立。それから紀元前2000年にかけてウルク、エリドゥ、ウル、ラガシュ、シュルッバク、ニップール等のシュメールの都市国家が栄えた。

○祭政一致の契約社会と驚異的食料増産




 これらの都市の中心には、頂上に神殿を有するジッグラトと言う煉瓦の塔が建てられ、ルガルと呼ばれる最高位の僧侶が君主を務め、収穫の10分の1を税として徴収、領収書を発行していた。神殿では、穀物の取引も行われ、これらの経済活動を記録する楔形文字が考案され、10進法や60進法が採用されていた。
 シュメール人は、高度な灌漑農業を発達させ、家畜の飼育に加え、30銘柄にのぼるビールも醸造した。主食の大麦の収穫量は、『すじ撒き』の技術とそれに必要な器具の発明により、蒔いた種の70倍~80倍に達した。ちなみに18世紀の欧州の収穫量は10倍程度だった。
 ウルの中枢テメノスには、神殿、宮殿、役所、織物工場、倉庫等が設けられ、織物工場では95人の女性が二班編制で作業。帳簿には、監督、熟練工、未熟練工の名、油と魚の配給量が記載されていた。加えて病人、未亡人、孤児に対する保護制度も整っていた。紀元前2100~前2000年に最盛期を迎えたウル第三王朝の創始者ウル・ナンム王は、『ウル・ナンム王法典』を編纂、この頃には、円筒印章が用いられ、完璧な契約社会と、祭政一致の神権政治が併存していた。

○エデンの原型ティルムン




 一方、ペルシャ湾上のバーレーン島とおぼしきティムルンの島がエデンの園の原型だったようだ。自らを『黒頭の民(ウンサンギガuŋ saŋ giga)と呼んだ正体不明の民族が粘土板に楔状文字(けつじょうもじ)で記したところによれば、ティルムンでは、ライオンも人を殺さず、狼も子羊を襲わず、誰も自分は年老いた女あるいは男と言わなかったと言う。
 アッカドのサルゴン王とその子孫が、自分たちが征服した土地として言及しているティムルンは、バーレーン、クウェート、カタールそしてサウジアラビアの東部地域を網羅する当時の商業センターで、シュメール神話の中核を成していたものと見られる。

○バビロン捕囚と旧約の成立
 旧約聖書は、エデンの園やノアの洪水伝説のみならず、祭政一致の政体や契約社会制度そのものをシュメール文化から引き継いだものと見られる。しかし、アブラハムやその父親テラ、さらには旧約の律法書の著者とされるモーセがシュメールの伝統文化をその細部に到るまで熟知していたとは思えない。




 紀元前586年にユダ王国が新バビロニアに滅ぼされた際、ユダ王国の貴族階級は数度にわたり捕虜として首都バビロンに護送された。その数は1万人にのぼり、預言者ダニエルやエゼキエルも含まれていた。
 アッシリアがイスラエル北王国を征服した際は、被征服民を根こそぎ移住させ、別の被征服民と入れ替え、さらに混血させたため、北イスラエルの10部族は事実上消滅した。これに対して新バビロニアは、ユダ王国の上流階級のみをバビロンに移住させ、独自の宗教生活を維持することを認めた。
 このため、バビロニアに移住したユダヤ人達は『アッシュル・バニパル王図書館』に秘蔵されていたシュメールの文書から多くのものを学ぶ機会を得、アケメネス朝ペルシアから帰還を許された際、こうした知識をエルサレムに持ち帰ったものと見られる。つまりエデンの園やノアの洪水を初めとする旧約聖書中の神話やモーセの律法の主要部分は、バビロン捕囚以降に成立した可能性がある。

○『ぶどう園の譬え』




 イスラエルの王としてロバに乗り、大衆を率いて、エルサレムに入城、神殿の商人を追い払ったイエスに、祭司や長老らが「如何なる権威に基づいて、こんなことをし、誰がそんな権威を授けたのか」と質すと、イエスは「洗礼者ヨハネは何の権威によって、洗礼を施したのか。彼の権威は天によるものか、人によるものか」と逆に問い返した。長老らが、「分からない」と言うと、「それなら私も、何の権威によるのか、言うまい」と、回答を控えた上、以下の譬えを語った。
 「ある人がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕(しもべ)を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だだきにし、から手で帰らせた。また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。彼らはいまの譬が、自分たちに当てて語られたことを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。そしてイエスをそこに残して立ち去った。(マルコ12:1-12)

○不在地主と小作人




 アブラハムに率いられた遊牧民が、自らに割礼を施すことを通じて、現地住民との混血を回避することを条件に、多神教から土着の一神教に改宗した際(創12:10-17:27)には、遊牧民が農耕民に隷従する共生関係が成立したが、モーセの後継者ヨシュアがカナンを征圧後、籤引きで十二部族に土地を分配した際(ヨシ18:10)には、農耕民が遊牧民に隷従する立場の逆転が生じた。支配階級になったユダヤ人はその後も遊牧を生業とし、頻繁に移動したため不在地主となり、土着の農耕民は、支配階級に税や小作料を支払って、従来通り農耕を続けたのだろう。こうした主従関係は、イエスの時代にも維持されていたようだ。マタイ福音書(21:33-42)とルカ福音書(20:9-17)、そしてトマス福音書(65-66)にも並行記事が存在する『ぶどう園の譬え』には、当時の不在地主と小作人の関係が反映されているように見える。

○『ぶどう園の譬え』のグノーシス的意味




 日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、以下のトマス福音書の譬えはその細部において共観福音書とかなりの点で異なっている。
 <トマス65節>:彼が言った、「ある良い人がぶどう園を持っていた。彼はそれを農夫たちに与えた。彼らがそれを耕して、それから収穫を得るためである。彼は僕を送った。ぶどう園の収穫を出させるためである。彼らは僕を捕まえて袋だたきにし、ほとんど殺すばかりにした。僕は帰ってそれを主人に言った。主人は言った、『たぶん彼らは彼を知らなかったのだ。』主人は他の僕を送った。農夫たちは彼も袋だたきにした。そこで主人は自分の子を送った。彼は言った、『たぶん彼らは私の子を敬ってくれるだろう』。ところが農夫たちは、彼がぶどう園の相続人であることを知っていたので、彼を捕まえて殺した。耳あるものは聞くがよい」。
 <トマス66節>:イエスが言った、「家造りらの捨てた石を私に示しなさい。それは隅の頭石である」。


 荒井献氏によると、『ある良い人』は『至高者』を意味し、『ぶどう園』は『既に耕された土地』であり、『収穫』は『本来的自己』を、また『農夫たち』は『非本来的自己』を意味する。農夫たちが僕を迫害したのは、『遣わされた者』に対する『無知』によるもので、主人が最後に派遣した『自分の子』とは『イエス』である。
 『彼がぶどう園の相続人であることを知っていたので』彼を『殺した』と言うのは、一見、迫害の動機となる『無知』に矛盾しているように見えるが、『相続人であることを知っていたので』は外面上の事柄であり、その本質は『知らなかった』のである。
 『トマス福音書』における『イエスの苦しみと死』の意味は、他のグノーシス福音書同様、『収穫(本来の自己)』を得るための苦難なのであり、殺されたのはイエスの身代わりではない。それでも『トマス福音書』は『イエスの死からの復活』を認めていない。マルコ、マタイ、ルカ福音書は、何れもギリシア語版詩編(21/23節)の『家造りらの捨てた石が隅の頭石になった』をそのまま引用し、『なった』として、殺されたイエスの復活を示唆しているが、『トマス福音書』では『それは隅の頭石である』とし、『トマス福音書』第11節の「真の『生ける者』はたとえ肉体的に殺されても死なないであろう(トマス11)」を再確認している。つまり、『イエスは初めから生けるもの』であり、イエスに死は存在しない。『ピリポ福音書』はこの点について「『主は先ず死んでそれから蘇った』と言うものは間違っている。何故なら彼は先ず復活し、それから死んだからである。もしある者が先ず復活を得ないなら、彼は死なないであろう(ピリポ21)。」と説いている。

○離却語言(りきゃくごごん)




 グノーシス福音書のこうした解釈は、『再活現成(Spiritual rebirth)』を根本宗旨とする禅宗の教義に通じるところがある。中国の五代十国(907-960)の末期、汝州風穴山(現在の河南省)の風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(896-973)は、「一塵を立てれば一国興隆し、一塵を立てざれば一国亡ぶ(碧巌録61則)」と垂示(すいじ)している。つまり「『再活現成』し、『本来的自己』を見極め、天上天下唯我独尊、草木国土悉皆成主(Christhood)と証見したイエスにとっては、ユダヤもローマも一粒の塵に過ぎず、その興亡は、自分の爪を切りそろえるようなもの」と言うのである。
 今日、日本の禅宗は、おおむね『看話(かんわ)』を主体とする臨済宗と『黙照(もくしょう)』を主体とする曹洞宗の二派に分かれるが、ある日、一人の僧が風穴和尚に「語にしろ黙にしろ、実在の半面に過ぎない。全体を捉えるにはどうしたらよいか」と尋ねた。すると風穴和尚は「長(とこしな)えに憶(おも)う江南三月の裏(うち)、鷓鴣(しゃこ)啼く處百花香し」と詩聖杜甫の一句を吟じて見せた(無門関24則)。
 《無門関》と言う公案録を遺した南宋(1127-1279)の禅僧、無門慧開(むもんえかい1182-1260)禅師は、この公案(無門関二十四則)に「風穴の機は掣電(せいでん:電光)の如く、まっしぐらに路ちを突っ走るが、爭奈(いか)でか前人(杜甫)の舌頭に坐すのみで、一刀両断にしなかったのか。ここのところが分かれば、おのずから出身(再活現成)の路有らん。さあ、言語を離れた一句を示してみよ」と評唱し、「風穴はその気骨ある句を示すことなく、片言も語らず千聖不伝の理(ことわり)を表したが、諸君が、もし歩を進め、なにやら言葉を発するなら、自己の鈍根に恥じ入る他ないだろう」と頌を付けた。(以下次号)

【参照】

○《碧巌録》第六十一則:風穴一塵
垂示(すいじ):

 垂示に云く、法幢を建て宗旨を立つるは、他の本分の宗師に還す。龍蛇を定め緇素を別つは、須らく是れ作家の知識なるべし。劍刃(けんにん)上に殺活を論じ、棒頭上に機宜を別つは、則ち且く置く。且く道え、獨り寰中(かんちゅう:天子の直轄地)に據るの事、一句もて作麼生(そもさん)か商量せん。試みに擧す看ん。
本則(ほんそく):

 風穴(ふけつ)垂語して云く、「もし一塵を立すれば家国興盛し、一塵を立せざれば家国喪亡す」。雪竇(せっとう)拄杖(しゅじょう)を拈じて云く、「還って同生同死底の衲僧ありや」。
頌(じゅ):

 野老は從い眉を展べずとも、且く家國に雄基を立つることを図らん。謀臣猛將今何(いずこ)にか在る、萬里の風只だ自知するのみ。

○《無門関》第二十四則:離却語言
本則(ほんそく):

 風穴和尚因みに僧問う、「語黙(ごもく)、離微(りみ)に渉(わた)り、如何にせば通じて不犯(ふはん)なる。」穴云く、「長えに憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く處百花香し。」
 離微:『離』とは諸相を離れ寂滅無余なる『法性(ほっしょう)』の『体』を表し、『微』とは微妙不可思議な『法性』の『用』を表す。
評唱(ひょうしょう):

 無門曰く、「風穴、機掣電(せいでん)の如く、路を得て便ち行く。爭奈(いかん)せん前人の舌頭に坐して不斷なることを。若し者裏(しゃり)に向って見得(けんとく)して親切ならば、自ら出身(しゅっしん)の路有らん。且く語言三昧を離却(りきゃく)して、一句を道(い)い將(も)ち來れ。」
頌(じゅ):

 頌に曰く、風骨の句を露わさず、未だ語らざるに先ず分付す。歩を進めて口喃喃(なんなん)、知んぬ君が大いに措(お)くこと罔(くら)きを。





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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