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Let's turn the light inwards, illuminat the Self.
vol.17/03/18
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禅宗と景教 シリーズ21:インモの道

イエスは洗礼者ヨハネの弟子に、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 わたしにつまずかない者は、さいわいである」と答えた(マタイ11:2-6)

無情の説法
曹洞宗の開祖洞山良价禅師(807-869)は、浙江省五洩山の霊黙禅師(747-818)の下で修行し、21歳で具戒、全国行脚を開始した。南泉和尚(748-835)に次いで溈山和尚(771-853)を訪ねた良价禅師が「南陽慧忠国師(675-775)は無情の説法をなさった言うが、某(それがし)未だその意を知らず」と切り出すと、溈山は「そんなものならここにもあるが、説法する相手がおらん」と答えた。良价禅師は、意味が分からず、「是非拝聴したい」と請うた。そこで溈山がさらに「女の股から生まれたものの口では、語れんわい」と一蹴すると、良价禅師は、やはり理解できず、「あなた以外に無情の説法をする者をご存じか」と尋ねた。溈山は、この若僧には依然として見所があると思ったのか、「ここからしばらく行くと岩窟が連なる場所がある。そこに雲岩(742-841)という道士がおる」とアドバイスした。

即遮個
良价禅師は、雲岩の下へ赴くと、早速「無情の説法を聞くことができるのは、誰か」と尋ねた。
雲岩は、「無情の説法は、無情になって初めて聞くことができる」と答えた。
良价禅師が、「あなたは聞いたのか」と質すと、雲岩は「もしわしが聞いたなら、お前は聞くことはできん」と答えた。
「つまり私があなたの無情の説法を聞くことはないと言うことか」と良价禅師が念を押すと、雲岩は「ワシが説いてもお前には聞くことができない、さあ、どうやって無情の説法を聞く」と反問した。
そこで良价禅師は「奇なるかな、奇なるかな、無情説法の奥義は思議すべからず、耳で聞かんとすればあたわず、目で聞いて初めてあたう」と偈を詠み、いとまを請うた。
雲岩は、「何処へ行く」と聞いた。
良价禅師は「行く先はまだ決めていない」と述べるとともに、「百年後に誰かにあなたの面貌(雲岩の教えの真諦)を問われたら、何と答えたらよいだろう」と問うた。
雲岩は、良价禅師に自分の顔をよせ、「そら(即)、これだ(遮個:シャコ)」と答えた。
意味が分からず良价禅師が黙っていると、雲岩は「遮個を負うた大事の身だ気を付けて行け」と激励した。

他は我,我は他にあらず
依然として疑問の晴れぬまま、川を渡りかけた良价禅師は、水に映った自分の姿を見てハタと悟り、以下の偈を詠んだ。
他に道を問うべからず
真理はますます遠のくのみ
我ただ独り行けば
行く先々で彼(道/真理)に逢う
彼は即ち我
我はまた彼に非ず
かく悟るべし
さらば如来現前せん

インモの道
それから暫く年月が過ぎ、良价禅師がある日、雲岩禅師の遺影に焼香礼拝していると、一人の僧が「先師がおっしゃった『遮個』とは、つまりこの遺影のことですか(先师道只遮是莫便。莫便=卑近なもので手軽に処理する)」と尋ねた。良价禅師が「ああそうだ」と答えると、僧は「その意如何」とさらに質した。師は「わしは、当初、先師の意を誤解しておった」と言った。そこで僧は「先師も本当に分かっていたのでしょうか」と疑念を呈した。師は「もし分かっていなかったら、恁麼(インモ)の道(=そう言う道)をあれこれ言い連ねただろう。もし分かっていたらひたすらインモの道を貫いただろう」と答えた。
いんもの人
中国唐代の雲居山弘覚(うんごさん・ぐかく)大師(853-902)は「恁麼(いんも)の事(こと)を得んと欲せば、いんもの人になればよい。すでにいんもの人なれば、もはやいんもの事を愁える必要はなかろう」と説いている。「こういうことを欲するならこういう人に、そういうことを欲するならそういう人に、ああいうことを欲するなら、ああゆうひとになればよい」と言うのである。
無上菩提の極意
日本曹洞宗の開祖道元禅師は、≪正法眼蔵≫において、弘覚大師は『無上菩提』の極意を、仮に『いんも』と表現したと述べている。
それによると、尽十方界(東西南北四緯上下)の森羅万象も無上菩提が具現したものであり、無上菩提は尽十方界にも収まらず、あふれ出している。我らもこの尽十方界の調度品であり、我々は、自分の身心が客体としてこの尽十方界に具現しているから自分自身を『いんも』として認識できる。この時、肉体は既に非我であり、生命(いのち)も時間の流れの中では一瞬もとどまることがない。紅顔の美少年や美少女も明日は白骨となり、もはや跡形もない。赤心などと力んでみても、心変わりは世の常で、千々に乱れる心をとどめることはできない。
また『いんも』であるが故に、理由もなく発心し、それまでの習慣を投げ捨て、これまで聞いたことのないものを聞こうとし、いまだ証したことのないものを証そうとする。それはそのものの所為(せい)ではなく、『いんもの人』なるが故にそうなのである。
また『いんもの事』を得ようと思うが故に『いんもの人』としての自覚を得ることができる。そして一旦、『いんもの人』と言う自覚を得たなら、もはや『いんもの事』を愁える必要はない。
『いんも』には、知覚の対象としての『声色のいんも』、知覚する側の『身心のいんも』、さらには対立を超越した『諸仏のいんも』もある。
仮に仏の秤でも、法界の秤でも、尽界の秤でも、測れない『いんも』が有ったにしろ、すでに『いんもの人』であるなら、『いんもの事』など愁える必要はない。地面を歩いてころんだ者が、地面に手をついて立ち上がる時、自分が地面にころんだことを疑うものはないのと同じである、と道元禅師は解き明かしている。(正法眼蔵第十七恁麼)
回光返照
道元禅師はまた『普勧坐禅儀』の中で、次のようにアドバイスしている。「道(真理)というものは本来完全なもので、修行や証しを必要としない。また真理に至る手段は、自在(本来備わっている)で工夫をこらす必要もない。-略-言葉(教典)の解釈に頭を悩ますのは止め、変化する外境に目を奪われず、内に光を回らすなら、自ずから本来の自己(the Self)が現前する。いんものこと(永遠不滅の自己に目覚めること)を欲するなら、いんものこと(坐禅)をしなさい。」
中国の香厳和尚は撃竹の音を聞いて悟りを開き、釈迦は菩提樹の下であけの明星を見て、「天上天下唯我独尊、草木国土悉皆成仏」と証見した。一説によれば、釈迦は少女スジャータが差し出したヨーグルトを食べて悟りを開いたとされる。釈迦にとっての『いんも』が明星であったか、美少女スジャータであったか、ヨーグルトであったかは、想像する他ない。
わたしにつまずかない者は、さいわいである
洗礼者ヨハネが領主ヘロデ・アンティパスにより、死海東岸のマケラス要塞に収監された後、イエスは、十二使徒を選び、組織的な布教活動に乗り出した(マタイ10:1- 42)。
獄中でこのことを知ったヨハネは、弟子をイエスの下に送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と問わせた。イエスは、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 わたしにつまずかない者は、さいわいである」と答えた(マタイ11:2-6)。
イエスの王国
ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい(マタイ11:7-15)。」
ここでイエスは、ヨハネを女から生まれたものの中で最も偉大なものとする一方で、天の御国では最も小さいものになると述べ、自分がこの地上に実現する王国の住人は、女の股から生まれたものではなく、自分と同じように神のかけがえのない一人子(霊的人間)であると明言するとともに、洗礼者ヨハネが現れて以来、それを阻止しようとする勢力が、力尽くで新王国(霊的王国)を奪い取ろうとしていると警鐘している。この警鐘には、ローマ軍の侵攻前にエルサレムを脱出した同グループを裏切り者として非難したユダヤ教急進派との対立のみならず、エルサレム教会発足直後から顕在化したヘレニスト信者とヘブライスト信者の内紛が反映されているものと見られる。
再構築された福音
西暦66年と70年に発生した二度にわたるユダヤ戦争で、エルサレム教会のみならず神殿も城塞都市そのものも完全に破壊された後、続々完成した新約聖書中の4福音書には、初期の教会運動を担った異なるグループがこうした挫折をどのように消化したかが反映されている。
これらのグループには、ローマ軍に包囲される直前に小ヤコブの弟シモンに率いられ、ヘロデ王家の支配地ペレアに避難したヘブライスト・グループ、バルナバやマルコに率いられたアンティオキア教会のヘレニスト・グループ、パウロ(すでに死去)やルカに率いられた異邦人教会グループ、パウロと同じ頃ローマで処刑されたとされるペテロに率いられたグループ、エーゲ海の孤島パトモスに流刑されたとされるゼベダイの子ヨハネに率いられたグループ、トマス、ナタナエル、ピリポ、イスカリオテのユダ等に代表されるグノーシス・グループが含まれる。
ヘロデ王家の支配地ペレアに避難したヘブライスト・グループにより編纂されたと見られるマタイ福音書の上記の記述には、同グループが再構築したイエスの王国のコンセプトが示されている。
真理の御霊
グノーチシズムはインドの大乗仏教運動にも影響を及ぼし、取り分けイエスの『聖霊のバプテスマ』はトマスによりインドに伝えられた後、中国や日本で禅文化を開花させたのみならず、イスラム教の誕生にも寄与したようだ。ムハンマドは、申命記18章15節にその出現が予告された預言者や、ヨハネ福音書14章16節でイエスが自分の死後に神がこの世に使わすことを約束した真理の御霊は、自分をおいて他にないと言う確信を抱き、イスラム教を創始したとされる(クルアーン7:157,61:6)。
ピチャイ氏の提言
最近、情報技術(IT)企業Googleの首席執行役員(CEO)に抜擢されたインド生まれのサンダー・ピチャイ氏は、「偏見のない寛大な態度で回教徒移住者を受け入れるべきだ」と訴え、センシチブな政治論争の渦中に自ら飛び込んだ。(SEAnews 2015-12-25ArtNo.45590)
ピチャイ氏は「私は仕事で各地のキャンパスを訪れ、活気に溢れた人種と文化のミックスを眼にする。これらの人々は、それぞれ異なる声、異なる意見、異なるストーリーを保持している。これらのすべてが我が社を興奮させ、突出したものにし、手を携えて偉大な事を成し遂げることを可能にする。我々は一層の多様化を緊急課題として取り組んでいる。なぜならそれは、将来の成功にとって極めて重要だからである。一企業の創設や一国の経営において、様々な主張や、経歴、体験のミックスを保つことは、より良い討論、より良い方針決定、また誰にとってもより良い結果をもたらすものと、私は信じている。」と語るとともに、出身地や宗教に基づき、ある種のグループの人々をボイコットしようとする動きに懸念を表明、「多様性を受容する米国の価値観が蝕まれるのを傍観してはならない。我々は米国、そして全世界のイスラム教徒やその他の少数派コミュニティーを支援せねばならない」と訴えた。
ピチャイ氏は、キリスト教、大乗仏教、イスラム教、禅文化を生み出したアレキサンダー大王東征以来のシンクレティズムの潮流が、米国大学のキャンパスに脈々と受け継がれていることを体感したようだ。(2016年1月2日)
【参照】
《景徳伝灯録第十五巻摘录:The Transmission of the Lamp Chapter 15 Selections translated by Chang Chung-Yuan》
次参沩山问曰。顷闻忠国师有无情说法。良价未究其微。
After visiting Nanch'uan, Liang-chieh went to see Master Kuei-shan沩山 and said to him: "I have just heard that there is a way of teaching through passionlessness, that is being practiced by the National Teacher Nan-yang Hui-chung 南阳慧忠, but I have not yet understood its real meaning."
沩山曰。我遮里亦有。只是难得其人。
Kuei-shan replied: "I teach it here too. However, I have not yet found the man to whom I can teach it."
曰便请师道。
Liang-chieh then urged Kuei-shan to tell him about it.
沩山曰。父母所生口终不敢道。
Kuei-shan remarked: "My mouth which was given me by my parents never dares to utter a word."
曰还有与师同时慕道者否。
But Liang-chieh persisted: "Is there any one else besides you who has also devoted himself to this teaching?"
沩山曰。此去石室相连有云岩。若能拨草瞻风。必为子之所重。
Kuei-shan answered: When you leave here and come to a place where there are stone chambers connected with each other, you will find there Master Yun-yen. If you don't mind the hardship of climbing up there to visit him, he will be the man whom you will respect."
既到云岩问。无情说法什么人得闻。
When Liang-chieh came to Yun-yen, he asked him: "What kind of man is able to hear the teaching of Dharma 法through passionlessness?"
云岩曰。无情说法无情得闻。
Yun-yen replied: "It is one's own passionlessness which can hear the teaching of Dharma through passionlessness."
师曰。和尚闻否。
Liang-chieh asked: "Can you hear it?"
云岩曰。我若闻汝即不得闻吾说法也。
Master Yun-yen said: "If I can hear it, then you will not hear me teaching the Dharma."
曰若恁么即良价不闻和尚说法也。
Liang-chieh replied: "If this is so, it means that I do not hear you teaching the Dharma."
云岩曰。我说法汝尚不闻。何况无情说法也。
Master Yun-yen challenged him: "When I taught the Dharma, even you did not hear it. How can you expect to be taught by passionlessness."
师乃述偈呈云岩曰:也大奇、也大奇、无情解说不思议、若将耳听声不现、眼处闻声方可知。
Thereupon Liangchieh composed a gatha, and presented it to Yun-yen: It is strange indeed! It is strange indeed! Dharma taught by passionlessness is beyond the imagination. Listening through your ear you cannot understand; But you will be aware of it by listening with your eyes.
遂辞云岩。云岩曰。什么处去。
After presenting the gatha, Liang-chieh asked leave of Master Yun-yen, who said to him: "Where are you going?"
师曰。虽离和尚未卜所止。
"Although I am leaving you, I have no idea where my next stop will be." replied Liang-chieh.
又问云岩。和尚百年后忽有人问还貌得师真不。如何只对。
"After you have passed away how can I answer someone if he wants me to describe what you were like?"
云岩曰。但向伊道即遮个是。
"You just say to him, 'This is!'" Yun-yen replied.
师良久。
Liang-chieh kept silent for a while.
云岩曰。承当遮个事大须审细。
Yun-yen said to him again: "You must be very careful, as you are carrying this great thing."
师犹涉疑。后因过水影大悟前旨。因有一偈曰:
Liang-chieh was still puzzled. Later when he was crossing the water and saw his image reflected, he suddenly understood the teaching of Yun-yen. Thus he made the following gatha:
切忌从他觅、迢迢与我疏、 我今独自往、处处得逢渠、 渠今正是我、我今不是渠、应须恁么会、方得契如如。
"You should not search it through others. If you do, the Truth will become more remote from you. But when alone I proceed through myself, Every where I go I meet him. Now, he is not other than myself; Yet, I am not he. Only if you understand this, Will you identify with Tathata."
他日因供养云岩真。有僧问曰。先师道只遮是莫便是否。
Another day, on the occasion of offering food to the portrait of Master Yun-yen, a monk asked Master Liang-chieh: "Is this (portrait) not what our late Master meant when he said that 'This is'? "
师曰是。
"Yes, it is!" Master Liang-chieh answered.
僧曰。意旨如何。
"What did 'This is' mean when Master Yun-yen said it?"
师曰。当时几错会先师语。
"I almost misunderstood him when he said it." replied the Master.
曰未审先师还知有也无。
"I wonder whether the late Master knew the Truth." continued the monk.
师曰。若不知有争解恁么道。若知有争肯恁么道。
"If he did not know it, how could he have known how to say it? If he did not know it, how could he have said it in such a way?" said Master Liangchieh.
师至唐大中末。于新丰山接诱学徒。厥后盛化豫章高安之洞山。
By the end of the period of Ta-chung大中(847-859), Master Liang-chieh received disciples and taught them at the Hsin-feng Mountain. After that his teachings were wide-spread at Tung-shan 洞山 in Kao-an 高安 of Yu-chang豫章.
因为云岩讳日营斋。有僧问。和尚于先师处得何指示。
One day, when the Master was conducting the annual memorial service for Master Yun-yen, a monk asked him: "What instruction did you receive from the late Master Yun-yen?"
师曰。虽在彼中不蒙他指示。
"Although I was there with him, he gave me no instruction." answered the Master.
僧曰。既不蒙指示。又用设斋作什么。
"Then why should you conduct the memorial service for him, if he did not instruct you?" further asked the monk.
师曰。然虽如此焉敢违背于他。
"Although this was the case, how could I disobey him?" explained the Master.
僧问。和尚初见南泉发迹。为什么与云岩设斋。
"You became known after you visited Nanch'uan. Why should you conduct the memorial service for Yun-yen?" pressed the monk.
师曰。我不重先师道德。亦不为佛法。只重不为我说破。又因设忌斋。
"It is neither for his moral character, nor for his teaching of Dharma that I respect him. What I consider to be important is that he never openly told me anything." stated the Master.
僧问。和尚为先师设斋、还肯先师也无。
Again the memorial service for Yun-yen caused a monk to raise a question: "Master! you conduct a memorial service for the late Master Yun-yen. Do you agree with what he has said to you?"
师曰。半肯半不肯。
"Half agree and half not!" replied the Master.
曰为什么不全肯。
"Why don't you entirely agree with him?" continued the monk.
师曰。若全肯即孤负先师也。
"If I entirely agreed with him, it would be ungrateful to him." replied the Master.
僧问。欲见和尚本来师如何得见。
A monk asked: "How can I see your original master?"
曰年涯相似即无阻矣。
"If two people both reach the ultimate, then there is no barrier of age between them." answered the Master.
僧再举所疑。师曰。不蹑前踪更请一问。
The monk tried asking about what still puzzled him. The Master said to him: "Do not trace the previous steps, but raise another question."
僧无对。云居代云。恁么即某甲不见和尚本来师也。
The monk made no answer. Yun-chu雲居, another disciple, replied for him: "According to what you say, I cannot see your original master."
师又曰。还有不报四恩三有者无。若不体此意。何超始终之患。直须心心不触物步步无处所。常不间断稍得相应。
The Master then continued: "Is there any one who does not show his gratitude to the 'Four Graces' and the 'Three Existences'." If he does not understand the meaning of these, how can he be free from the suffering of the beginning and ending of existence. Every thought he has in his mind should be free from attachment to things, and also every step he takes should be free from attachment to his dwelling place. When he keeps on in such a way without interruption, he will be close to the answer."

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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