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『契約の民の流浪史』スライドショー第六話:トマスの東方伝道

<スライドショー第六話>
1945年にナイル川上流のナグハマディで発見されたコプト語の古文書の中に、『トマス福音書』が含まれていたため、トマスが説いたイエスの教えの全容が明らかになった。
トマス福音書によれば、『光の子ら』あるいは『父の子ら』としての本来の自己の認識(トマス3/50)が御国の現成であり、『聖霊のバプテスマ』の真髄である。
『聖霊のバプテスマ』とは、原初において自分が神と一体であったことを自覚させること、換言すれば、アダムとイブが分離する以前の本来の自己に立ち返らせることに他ならない。イエスは、様々な比喩を用いてこのことを説き明かしたが、弟子達はその答えを自ら見いだすほかなかった。弟子達が辿り着いた答えは様々であり、一つではない。正しいかも知れず、正しくないかも知れない。
魂の救済者

日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献氏によると、例えば、トマス福音書107節の『迷える羊』の譬えでは、譬え全体が『御国』の譬えになっている。
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イエスが言った、「御国は百匹の羊を持つ羊飼いのようなものである。それらの中の一匹、最大の羊が迷い出た。その人は九十九匹を残しても、それを見つけるまで、一匹を捜した。彼は苦しみの果てに羊に言った、『私は九十九匹以上にお前を愛する』と」。(トマス107)
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譬えの比較点が『羊飼い』にされているため、≪トマス福音書≫に特徴的な譬えの『人間論化』の傾向が見られる。また迷い出た羊が『最大の羊』とされていることから、≪トマス福音書≫20節、76節、96節同様、救われるべき人間の本来的自己を示唆している。『苦しみの果てに』はイエスの受難を暗示し、『九十九匹以上にお前を愛する』は、百匹に不可欠な一匹だからである。≪トマス福音書≫では、『百に成るべき一』が『一を欠く九十九以上に愛されている』のであって『一』それ自体が愛の対象ではない。いずれにしても≪トマス福音書≫は、『迷える羊』の譬えに『最大の羊』と言う一句を加えて、これを羊飼いの苦難の動機とし、最終的にイエス自身に『私は九十九匹以上にお前を愛する』と語らせることにより、人間の本来的自己を取り戻す『魂の救済者』としてのイエス像を描き出していると言う。
トマスの終末論復活信仰批判

トマスは、「初めのあるところに終わりがある。初めに立つものは、その時点で既に終わりを知り、永遠の命を得ることができる。人生の初めをその終わりに結びつけてスタートするものは、この世にいて既に神の国(至高)に遊んでいるのだ」と、イエスの言葉を借りて、正統派キリスト教会の終末論や復活信仰を批判している。
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弟子たちがイエスに言った、「私たちの終わりがどうなるかを、私たちに言って下さい。」イエスが言った、「終わりを求める、あなた方はもう初めを見出したのか。なぜなら初めのあるところに、そこに終わりがあるであろうから。初めに立つ者は幸いである。そうすれば、彼は終わりを知るであろう。そして死を味わうことがないであろう。」(トマス18)
疑い深いトマス

『共観福音書(マタイ/ルカ/マルコ福音書)』は十二使徒の一人としてトマスの名を挙げているが、トマスは彼の本名ではなく、イエスが彼に付けたあだ名で、アラム語の双子を意味し、ギリシア語にすればディディモ(ス)、彼の本名はユダだった。
社会人類学者杉本良男(すぎもとよしお)氏によると、トマスは、西方キリスト教会においては、『不信のトマス』、『疑い深いトマス』としてのみ知られ、その性格がハキリしない。
智慧者トマス

これに対して東方キリスト教会における聖トマス伝説には、2つの特徴が存在する。ひとつは「智慧者トマス(Thomas the Knower)」つまりグノーシス主義的な教えを説くトマスである。聖トマスは、東方キリスト教のグノーシス主義的伝統のなかで重要な位置を占め、西方キリスト教の聖ペトロと相対立する存在となっている。いまひとつは「旅行者トマス(Thomas the Wanderer)」つまり東方教会における福音伝道者、教会創設者としてのトマスである。さまざまな伝説によって、トマスはシリア、メソポタミア、エジプト、インド、パキスタン、はては中国、ブラジル、メキシコまで旅したとされる。
トマスのインド伝道

東方に伝道し、インドで殉教したとされるトマスによる福音書の説くところは、仏教の教えに類似している。当時のインドではアーンドラ朝の下、大乗仏教が隆盛を極めていた。中論を著したナーガルジュナ(龍樹菩薩)の誕生がもう少し早かったら、イエスの双子の兄弟と釈迦の嫡流の討論が実現したかも知れない。トマスが建立した教会は今もインドに残っている。
聖トマス・キリスト教会

聖トマス・キリスト教会は、西暦1世紀の使徒トマスの布教活動に起源を発するインドのケララ州に存在する古典的教会組織。彼らはまた『ナザレのイエス』の信奉者『ナザラニス』として知られる。ケララ州聖トマス教会は現在も『ナザラニ』と言う表現を用いている。
彼らはまたシリア式礼拝儀礼を用いていることから『シリアン・クリスチャン』と称される。礼拝儀式用語はアラム原語に由来し、その後シリア語に転化した。彼らはまた、マラバルもしくはマランカラと呼ばれるケララ州を拠点にし、マラヤーラム語を用いていることから、マラバル/マランカラ・マー・トマス・ナザラニスとも呼ばれる。(wikipedia)
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<1>マー・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kodungaloor, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。
<2>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Palayur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。
<3>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kottakayal, North Paravur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。
<4>セント・メアリー正教会(Niranam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。
<5>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kokkamangalam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。
<6>セント・メアリー正教会(Thiruvithamcode Arappally = Royal Church)
西暦63年に聖トマスにより創設されたとされる。『Arapalli』は『Arachan Palli』の短縮形で王立教会の意。
<7>セント・メアリー・シロ・マラバル・カトリック教会(Kudamaloor)
西暦1125年にチェンパカセリ王により創設された。
トマスの北京伝道

日本キリスト教団池袋キリスト教会初代牧師を務めたプロテスタント系聖書解説者の久保有政氏(1955-)によると、トマスはイエスの昇天の2年後、西暦35年頃アッシリアに赴き、次いで船でケララ州のクランガノールに上陸、7つの教会を建て、さらにタミールナド州のマドラス(現チェンナイ)に行き、その後、チベットを経由して中国に伝道、西暦62年に現在の北京に至り、教会(会衆)も組織したらしい。
それにしても、トマスは何故後漢の帝都洛陽や長安ではなく、薊県(けいけん)と呼ばれた北辺の地方都市に赴いたのだろうか。パウロにしろヨハネにしろ、当時の使徒達は皆、ユダヤ人コミュニティーがすでに存在した地域に伝道しており、恐らく当時の北京にもユダヤ人コミュニティーが存在していたものと見られる。
重建清真寺記碑

そういえば、中国河南省東部の開封市で発見された『重建清真寺記碑』には、秦の王賁(おうほん)将軍が魏の王都大梁(現在の河南省開封)を陥落させた紀元前231年に同市に最初のユダヤ人コミュニティーが形成されたと記されていると言う。そのほぼ十年後の紀元前226年に王賁将軍は燕の王都薊城(北京)を陥落させ、紀元前222年に燕を滅した。
秦の始皇帝はマナセ族の末裔?

秦の母体と見られる羌族(きょうぞく)は文字通り羌(ひつじ)を放牧する遊牧民で、イスラエルの失われた十部族の帰還援助組織アミシャーブによれば、典型的なマナセの末裔という。
このため王賁将軍には直属のユダヤ人傭兵部隊が存在し、同将軍が転戦した地域にはこうした傭兵部隊の家族のコミュニティーが形成されたのではなかろうか。
日本皇室は始皇帝の末裔?

ちなみに神武天皇から数えて第14代の仲哀天皇の第8年(西暦197年)に日本に渡来したキリスト教国弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)は、秦の始皇帝の3世(新撰姓氏録)あるいは14世(大酒神社由緒書)の孫とされ、功満王の子は、第15代応神天皇の時代に1万8670人の民を率いて再度渡来、集団で日本に帰化した。これが景教と呼ばれるキリスト教徒の秦氏(はたし)が大挙日本に渡来した起源とされる。この頃、日本の皇室はユダヤ教から原始キリスト教に改宗したのではないだろうか。
また室町初期に編纂された『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にると、第27代安閑天皇には、豊彦王(とよひこのみこ)と言う皇子がおり、豊彦王は秦氏の長で聖徳太子の側近として活躍した秦河勝と同一人物と言う。だとすれば、安閑天皇の父親第26代継体天皇も秦氏一族であったことになり、継体天皇の直系の現皇室も秦の始皇帝、そしてマナセ族の末裔と言うことになりそうだ。
トマス、アッシリア東方教会初代大主教に

トマスは中国伝道後再度インドに戻り、西暦68-75年に殉教、マイラーップール(現タミールナド州チェンナイ県)に葬られた。
トマスはアッシリア東方教会(シリア教会)の初代大主教に列せられた。インドのキリスト教徒は自らをトマス・クリスチャンと称した。アッシリア東方教会は、中国では景教(Luminous Religion)と呼ばれた。
聖トマス信仰の中心地エデッサ

聖トマス信仰の中心地はメソポタミアのエデッサ(Edessa)、現在のトルコのウルファ(Urfa)にあったとみられている。この地へのキリスト教の伝来に関しては、聖トマス自身が遣わされ宣教を行なったといわれていたが、最近ではトマスが弟のタダイを派遣したとする説が有力である。
エデッサは東シリア教会の中心地として栄えたが、7世紀にムスリムの侵入によって栄華の歴史を閉じることになった。この地には使徒トマスの遺物を納めた聖トマス聖堂が4世紀に建てられたが、トルコによって破壊された。
東方キリスト教会

杉本良男氏によると、シリア教会は、狭義にはコプト、エチオピア、アルメニアなどの諸教会とともにいわゆる単性説(monophysitism)派のオリエンタル・オーソドクス(Oriental Orthodox)にふくまれるヤコブ派教会(Jacobite)を指している。しかし、広義にはシリア語典礼を行なう教会を意味していて、西シリア典礼のヤコブ派、東シリア典礼のネストリオス派(東シリア教会=アッシリア教会)、それに現在のインドのマランカル教会(西)、マラバール教会(東)などをふくんでいる。オリエンタル・オーソドクスは、ネストリオス派とともに、東方諸教会(Eastern Churches)を構成し、さらにこの東方諸教会は東方正教会とともに東方キリスト教(Eastern Christianity)にふくまれる。そして、東方キリスト教は西方のカトリシズム、プロテスタンティズムなどと対峙している。
ネストリウス派

久保氏によれば、コンスタンティノポリス総主教のネストリオス(386-451)は、マリアを「神の母(聖母)」と呼ばず「キリストの母」と呼ぶことによって、キリストの人性を明確に示そうとし、アタナシウス派の三位一体説と対立した。とは言え三位一体を否定した訳ではなかった。しかし431年のエフェソス公会議で、ネストリオス派は異端とされた。
久保氏によれば、アッシリア東方教会(シリア教会)は後に中国に伝えられ、景教と称された。景教は5世紀に誕生したネストリオス派キリスト教と呼ばれるが、これは誤りで、景教徒は自らをネストリオス派キリスト教徒とは考えていない。彼等は自らをトマスを初代総主教とする東方教会に属するキリスト教徒と見なしており、三位一体も否定していないと言う。
大秦景教流行中国碑

イエズス会が17世紀に西安で発見した『大秦景教流行中国碑』には、西暦635年にオロペン(Alopen阿羅本:アブラハムの意)が21人の景教徒を率いて中国に赴き唐の太宗皇帝に拝謁、漢訳聖書を献上、中国における布教を正式に許可されたことが記されている。しかしこれは公式の記録で、それ以前から景教徒は中国で布教していたものと見られる。中央アジアのトルコ人やタタール人は一時景教に集団改宗した。2世紀の歴史家バールタイサンによると、西暦129-140年にはタタール人は全員キリスト教に改宗、アッシリアは世界最初のキリスト教国になった。
メルブに言語研究所

景教徒は聖書を広めるため、中央アジアのメルブに言語研究所を設け、モンゴル、ウイグル、アラビア、タガログ、ハングル文字の成立に貢献したと言う。
ちなみにアッシリアは、紀元前2400年頃、つまりノアの洪水の直後頃からすでに中国と交易しており、紀元前1200年頃、中国はアッシリアに使節を派遣した。前漢は紀元前139年に大月氏に張騫を派遣、紀元前101年にバルハシ湖周辺のフェルガナ(費爾干納)、烏孫、呼掲(コケイ)等の国を征服した。河南省東部の開封には紀元前231年に初めてユダヤ人が到来し、ユダヤ人コミュニティーが形成された。
『三一妙身』の教義

『大秦景教流行中国碑』には、「大秦国(シリア)に救世主が誕生し、『三一妙身』の新しい教えを説き終えた後、ある日の午後に昇天し、27巻の≪新約聖書≫が遺された。大秦国の高僧アロペンが貞観九年(西暦635年)に、『三一妙身』の教義と『水の洗礼』・『十字の表象』・『東方礼拝』・『断食』等を宗旨とする景教と名付けられたこの教えを携え、長安に至り唐の太宗皇帝に聖書を献上、布教と寺院の建設を許された」と記されている。
イエスの双子の兄弟と渾名されたトマスが東方世界に伝道した時期は、インドの大乗仏教やペルシアのゾロアスター教が成立した年代と重なっており、見たところ景教碑にはそうした時代背景が色濃く反映されている。
大乗仏教/イスラム教の誕生に影響

東方キリスト教会は、『三位一体』を『至誠三者』とも表現するが、新羅から日本に贈られたとされる広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、右手の親指そして中指と薬指で円相を表し、人差し指と小指を立て、『太虚のように円かで欠けるところも余るところもない至道』の現成を目指した聖徳太子やイエスの願を表しているように見える。当時新羅には弥勒菩薩(Mireuk-posal)を信仰する貴族の子弟から成る『花郎(Hwa-rang)』と言う騎士団が活動していた。
『三一妙身』の教義は当時インドに台頭した大乗仏教運動に激震を与え、中国における天台・華厳の哲学や禅仏教隆盛の起爆剤になったのみならず、イスラム教の誕生にも寄与した。イスラム教の始祖ムハンマドも当時中東や中央アジアに広く流布していた景教の影響を受けたであろうことは想像に難くない。

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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