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『契約の民の流浪史』スライドショー:イスラエルの失われた十部族と皇室のえにし








<第二話>
イスラエルの失われた10部族の帰還援助組織アミシャーブによると、エフライム族とマナセ族は、日本列島の先住民の縄文人やチベット人に特徴的な『Y染色体D』系統の遺伝子を保持する古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)に属し、両部族の始祖エフライムとマナセの父親ヨセフを含むヤコブ(別名イスラエル)の十二人の息子の子孫とは異なる遊牧民であったが、何故か両部族はイスラエル北王国が滅んだ後、ともに豊葦原の瑞穂の国に渡来し、大和王朝の成立に貢献したらしい。
チグリス川とユーフラテス川河口の三日月地帯から約束の地カナンに移住した契約の民が世界各地に離散する過程で発生した『教会運動』からキリスト教が誕生した点に注目し、『契約の民の流浪史』と言う副題付きで本書『キリスト教の起源』第6版を出版したが、その後古モンゴロイドの遺伝子的特徴を具えたエフライム族とマナセ族が、カナン征服のみならず、その後のキリスト教の東方伝播にも重要な役割を演じたことが明らかになったことから、第7版は『契約の民の流浪史』をメインの表題に掲げた次第である。
今回のスライドショーは、エフライム族およびマナセ族と日本皇室とのえにしに照準を合わせ、『契約の民』と日本の関わりを掘り下げてみよう。
日本語に紛れ込んだヘブル遺伝子

イスラエル日本学会名誉会長を務めるヘブライ大学のベン=アミー・シロニー(Ben-Ami Shillony)名誉教授は、日本語とヘブライ語には、『発音』と『意味』が類似する語彙が多数存在すると指摘する。
別表の例はほんの一部に過ぎず、数え上げれば500は下らないと言う。一見して日常生活の様々な領域をカバーしていることから、恐らく縄文時代にまで遡る太古の昔から大量のユダヤ人が、長期にわたり継続して日本列島を訪れ、天皇家のみならず日本の先住民と大衆レベルの交流をしていた証左と言えそうだ。
エルサレム神殿と諏訪大社

長野県の諏訪市と伊那市の境に位置する標高1651メートルの守屋山の麓に建てられた諏訪神社は、丁未の乱に敗れた物部守屋(もののべのもりや)ゆかりのモリヤ一族により祭られて来た。
日本キリスト教団池袋キリスト教会初代牧師を務めたプロテスタント系聖書解説者久保有政氏によると、古代イスラエルの神殿も、エルサレムのモリヤの丘に建てられ、ヤハウェは『モリヤの神』と呼ばれていたと言う。
物部氏の出自

物部氏は天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)が、北九州筑紫の高千穂峰に降臨する以前に、近畿地方に第一次大和王朝を建てたもう一人の天孫、饒速日尊(にぎはやひのみこと)と登美夜毘売(とみやびめ古事記/三炊屋媛ミカシキヤヒメ日本書紀)の間に生まれた宇摩志麻遅命(うましまでのみこと古事記/可美真手命ウマシマデノミコト日本書紀)を始祖とし、北九州の朝鮮系豪族(磐井?)の東征将軍、神武天皇が第一次大和政権を接収し、第二次大和政権を樹立した後は、鉄器と兵器の製造・管理を管掌する有力な軍事氏族になったとされる。
大和の語源は『ヤー・ウマト(ヤーウェの民)』!?

久保氏によると、饒速日尊は、イスラエルの失われた十部族の一つエフライム族の協力を得て、王権を樹立、天遜族の証しとして『ヤーウェの民』を意味するアラム語『ヤー・ウマト』にちなんでその王朝を大和王権と称した。
朝鮮半島の新羅王朝の始祖とされる稲飯命(いないのみこと)を兄とする神武天皇は近畿地方を征圧後、大和王朝の伝統を引き継ぎ自らを『サマリヤの王、ヤハウェのエフライム族の高尚な創設者(カム・ヤマト・エフライム・ペコ・シュメロン・マクト)』を意味する『神日本磐余彦尊(カム・ヤマト・イハレ・ヒコ・スメラ・ミコト)』と称したと言う。
だとすれば、エルサレム近郊のモリヤの丘に建てられ古代イスラエルの神殿が、長野県諏訪市と伊那市との境に位置する守屋山の麓に建てられた諏訪神社の起源と言うのも辻褄が合いそうだ。
縄文人と『Y染色体遺伝子』

因みに日本列島には4万年前に既に土着の旧石器文化が存在したらしい。最近の遺伝子学的調査によれば、1万8000年前頃に『Y染色体C3』遺伝子を保持するブリヤート人が、そして1万6500年前頃までに『Y染色体D2』遺伝子を保持する別の古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)集団が、サハリン経由で日本列島に渡来し、縄文土器に特徴付けられる縄文文化が形成された。
エフライム族は早くも縄文時代に渡来!?

3000年前頃から朝鮮半島や海上ルートを通じてシベリア、モンゴル、中国、朝鮮系の新モンゴロイド(neo-Mongoloid)諸部族が大挙日本列島に流入、農耕文化をもたらしたことから、日本列島は狩猟採取を主要な生活様式とした縄文時代から弥生式土器に特徴付けられる弥生時代に徐々に移行したらしい。
久保氏の説が正しいとすれば、エフライム族は、神武東征以前に倭国に渡来し、饒速日尊の第一次大和王権の樹立に貢献したと見られ、その時期は弥生時代初期、あるいは縄文時代後期にまで遡りそうだ。おそらくサハリン経由で北海道から本州に南下した古モンゴロイド集団には、アラム語を話す遊牧民と共通の祖先を有するグループが含まれていたものと見られ、縄文人は数百年あるいは数千年にわたりアラム語を話す遊牧民と交流していた可能性がある。
ユダヤ人埴輪の謎

ローマ大学やボローニャ大学の客員教授も務めた歴史家で美術史家の田中英道(たなか ひでみち、1942 - )東北大学名誉教授は、千葉県、茨城県、群馬県、埼玉県の古墳から数多く出土する、長い髭と長いもみあげを携え、特異な山高帽子を被った人物埴輪は旧約聖書レビ記に記されたユダヤ人の正装に酷似しており、古墳時代にユダヤ人が日本に渡来した証左だが、関東地方に限られており、他の地域の古墳には見られないと指摘する。この種の人物埴輪の出土地域は、饒速日尊の血筋の物部氏の勢力範囲に重なっているように見える。だとすれば、こうした人物埴輪の形状には、神武東征以前に近畿地方に存在したらしい第一次大和政権の創設に協力したエフライム族の容姿が反映されているのではないだろうか。

マナセ族は古墳時代に渡来
他方、マナセ族は、弥生時代が終わり、日本列島に古墳の建造ブームが生じた頃、すなわち応神天皇の治世から継体天皇の時代にかけて渡来したものと見られる。
複数のルートが考えられ、朝鮮半島から北九州に渡来したものと、沿海州から海上ルートを通じて北陸地方や山陰地方に渡来したものがあるようだ。
巨大古墳のミステリー

日本列島には3世紀後半から7世紀末ごろまでの400年にわたり古墳の建造ブームが生じ、全国に16万基以上の古墳が建造された。特に、第16代仁徳天皇陵とされる大阪府堺市堺区大仙町に位置する大仙陵古墳は日本のみならず世界的にも最大の規模をそなえており、1日平均2000人の労働者が15年8ヶ月をかけて築造したものと見られ、総工費は796億7700万円(7億2506万米ドル)と試算される。
古墳には『前方後円墳』、『前方後方墳』、『円墳』、『方墳』等、様々な形式が存在するが、『前方後円墳』は大和連合政権に参加する豪族にのみ認められていたようだ。しかし一体何のためにこれほど大規模な古墳が作られたのだろうか。
朝鮮半島情勢との関わり

古墳時代には大量の移民が流入しており、これには朝鮮半島情勢が密接に関係していたようだ。しかし7世紀に新羅が統一国家を樹立すると移民も古墳の築造も激減した。
大和政権は朝鮮半島から半独占的に鉄原料を輸入、傘下の豪族に分配していたらしい。少なからぬ朝鮮系豪族も直接朝鮮から鉄原料を入手していたが、朝鮮半島につてを持たない地方豪族は大和政権に加わることにより鉄原料の分配を受けられるだけでなく、地方における威信も高めることができたため全国に前方後円墳が普及、その数は約5200基にのぼった。
大阪湾から大和政権の所在地に至る経路沿いに巨大古墳群が築造されており、大王(おおきみ)や大和朝廷の絶大な権力を国内の豪族のみならず高句麗、新羅、百済、伽耶等の朝鮮半島の国々や渡来人に誇示する狙いがあったと見られる。
しかし、たたら製鉄技術が伝えられ、鉄原料の国内調達が可能になったことの他、新羅統一王国の誕生により朝鮮半島からの輸入が困難になったこと、また大和朝廷が大王を中心にした豪族連合から天皇を頂点に戴く中央集権国家に変身を遂げたこと、加えて大和政権が大規模な古墳の築造を禁じたことなどから、古墳ブームは急速に冷却、そして終焉した。
始皇帝の曾孫弓月の君が渡来

平安時代初期の815年に嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑『新撰姓氏録(しんせん しょうじろく)』によれば、神武天皇から数えて第14代の仲哀天皇の第8年(西暦197年)に秦の始皇帝の3世(新撰姓氏録)あるいは14世(大酒神社由緒書)の孫とされるキリスト教国だった弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)が家来とともに来日した。その後、第15代応神天皇の時代に功満王の子が1万8670人の民を率いて渡来したと追記されている。これが景教と呼ばれるキリスト教徒の秦氏(はたし)が大挙日本に渡来した起源とみられる。
景教の研究で世界的第一人者と言わる早稲田大学の故佐伯好郎(さえき よしろう1871-1965)教授によると、弓月はキリスト教国で、文献から知られる限り西暦198/199年に日本にキリスト教が伝えられた。とは言え、現代の学者は4世紀後半の出来事と見ている。中国の歴史書『資治通鑑(しじつがん)』によると、中央アジアのバルハシ湖付近に秦氏と言う遊牧民が建てた弓月と言う国が存在した。また『大和民族はユダヤ人だった(The Biblical Hebrew Origin of the Japanese People)』の著者ヨセフ・アイデルバーグ(Joseph Eidelberg 1916-1985)と言うユダヤ人は、バルハシ湖付近に『ヤマトウ』と言う地名があり、『大和』の語源ではないかと述べている。
現皇室はマナセ族の末裔?

日本に渡来したこれら約2万人の秦氏一族は養蚕や絹織物業に携わり、平安京の造営や、大阪平野の淀川、京都の鴨川や桂川の治水に貢献した。秦氏の長、秦河勝(はたかわかつ)は聖徳太子の側近として活躍、603年に京都の葛野(かどの)に広隆寺(こうりゅうじ)の元になる建物を建て、新羅から贈られた景教の三一妙身の教義を象徴する手の形をとる弥勒菩薩の半跏思惟像(はんかしいぞう)を安置した。
室町初期に編纂された『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にると、継体天皇の子の安閑天皇には豊彦王(とよひこのみこ)と言う皇子がおり、豊彦王は秦河勝と同一人物としている。だとすれば、継体天皇もまた、秦の始皇帝の末裔とされる秦氏一族だったことになり、継体天皇直系の現皇室も秦の始皇帝そしてアラム語を話す遊牧民マナセ族の末裔と言うことになりそうだ。
八咫鏡の秘密

明治時代、森有礼(もりありのり1847-1889)文部大臣は、「八咫鏡(やたのかがみ)の裏にヘブル語で『エヘイエ・アシェル・エヘイエ(我は在りて有る者、出3:14)』と書かれているのを見た」と語った。ちなみに八咫鏡は、『円周8咫(94.16cm)の鏡』の意で、三種の神器の一つ。
昭和27年頃、犬塚惟重(いぬづかこれしげ1890-1965)元海軍大佐を会長とする『日猶懇話会(日本ユダヤ懇話会)』が結成された。昭和28年1月25日の例会は港区のミハイル・コーガンと言うユダヤ人宅で開かれた。この例会には三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと1915-2016)殿下も臨席した。席上、東洋宣教会きよめ教会(とうようせんきょうかいきよめきょうかい)創始者の尾崎喬一牧師が、宮中の八咫鏡にまつわる話をした。すると三笠宮殿下が、「真相を調査してみよう」と語った。翌日、東京イブニングニュースは、『神鏡のヘブライ出所説を三笠宮氏が調査!』と報じた。三笠宮殿下は同紙に対して「自分で問題の鏡を見ることはできない。なぜならば今日でも、鏡と玉と剣の三種の神器は、皇居内の奥深い聖所から取り出すにはあまりに恐れ多いと考えられている。天皇すらも鏡を見たことがあるとは思われぬので、宮内庁の記述か、口述か、いずれかの報告を基礎にして、自分が調査書を作成することになろう...」と語った。しかしその後三笠宮殿下が調査結果を発表した言う話は伝えられていない。
高坂和導(こうさかわどう)氏著『超図解・竹内文書II』によると、神道家の矢野祐太朗氏は伊勢神宮に掛け合い極秘裏に八咫鏡を見せてもらい、裏面の模様を書き写した。
日本大学や国士舘大学で教鞭をとった神道家の藤沢親雄教授なども三種の神器のルーツは古代イスラエルと考えていた。
天皇家に伝わる割礼の伝統

明治天皇の皇女仁(しのぶ)内親王はご子息の、小林隆利氏に「父(明治天皇)はこう言われた。私は天皇の権限で日本の歴史を調べたが、神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされた。そして後に原始キリスト教に集合された」と語ったと言う。小林氏は「天皇家では生後8日目の割礼が行われて来た。私自身も割礼をしている」と話した。明治天皇の孫の中丸薫氏も「天皇家では生後8日目の割礼が行われて来ました」と証言したと言う。
明治天皇は仁内親王に「神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされたが、後に原始キリスト教に集合された」と語られたと言うことから、その時天皇家はユダヤ教から原始キリスト教に改宗した可能性がある。また『原始キリスト教』とは、『割礼』を含むモーセの律法に忠実なヤコブ派を指しているのではないだろうか。
それはともかく三種の神器の八咫鏡は、中国製の銅鏡を模倣して日本で作成された可能性がある。仮にヘブル語やギリシア語が記されているとすれば、これらの言葉を理解するものが関わったと見られ、その時期は景教が日本に伝来した時期と一致しそうだ。
さて、天遜族がエフライムやマナセの末裔だったとして、どうして天皇家は2千数百年にわたりそのことをひた隠しにして来たのだろう。またそんなことがどうして可能だったのだろう。天皇家は、蘇我氏や藤原氏の他、多くの豪族と婚姻を重ねて来た。また武士の二大源流の源氏と平氏も元を質せばどちらも皇家の末裔であり、皇室において生後8日目の割礼が励行されていることは、恐らく『キリシタン禁令』を発した豊臣秀吉も同禁令を継承した徳川家康も知っていたに違いない。正に事実は小説よりも奇なりと言うことか。
日朝は一衣帯水の隣国:平成天皇

2001年12月18日、天皇誕生日前の恒例の記者会見の席上、平成天皇は翌年に予定されていたサッカー・ワールドカップの日韓共催に触れ、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」と語られた。
この発言は、韓国で大きな反響を呼び、「皇室は韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」、「日王が秘められた事実を暴露」などと報道されたほか、金大中当時大統領も翌2002年の年頭記者会見の席で歓迎の意を表明した。
平成天皇は、『平城遷都1300年記念祝典』でも百済とのゆかりについて同様の趣旨の発言をされた。<以下次号>

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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