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禅宗と景教 シリーズ26:唯嫌揀択

唐代末期、一人の僧が、趙州従諗禅師に、「三祖僧璨鑑智禅師は、『信心銘』において、『至道、無難、唯だ揀択を嫌う』と述べているが、それでは、『不揀択』とはどんな境地か」と尋ねた。趙州和尚は、「天上天下、唯我独尊」と答えた。
今回は『碧巌録第57~59則至道無難唯嫌揀擇』の公案に参じて見ましょう。

神の御業が現れるため
ある日、弟子と外出されたイエスは、生まれつき目が見えない盲人に出会われた。弟子たちはイエスに、「先生、このものが生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」と尋ねた。
これに対して、イエスは、「本人が罪を犯したのでもなく、また、両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」と答えられた。(ヨハネ9:1-3)






罪をもとむるに不可得
時代は下り、中国の魏晋南北朝時代(220-589)末期、中国禅宗の第三祖僧璨鑑智(そうさんかんち)禅師(?-606)は、まだ40代の俗人だったが、ライを病み苦しんでいた。
ちょうどその頃、インド伝来の禅宗を修めた二祖慧可と言う高僧が居ると言う噂を耳にした僧璨は、早速、慧可を尋ねると、「私は自分自身の罪か、親の因果か、ライ病を患い苦しんでいます。どうか罪を懺(さん)して下さい」と願った。
すると慧可は、「罪を持ってきなさい。お前のために懺(さん)してしんぜよう」と答えた。僧璨はしばらく思いを巡らした後、「罪をもとむるに不可得(ふかとく)」と答えた。
これを聞いた慧可は、「お前のために罪を懺し終えた。これからは、ひたすら仏法僧三宝に帰依しなさい」と諭した。
僧璨は、「目の前に居られる貴方が、僧であることは分かりますが、何をもって仏法と言うのですか」と正直に尋ねた。
慧可は、「心が仏であり、心が法である。仏と法は不二で、僧と仏法もまた一体である」と答えた。
すると僧璨は、「今日始めて知りぬ、罪性は内に在らず外に在らず、中間にも在らず、其の心の如きも然り。仏法も無二なり」と応じた。
慧可は僧璨が大器であることを見抜き、その場で剃髪させ、「これ我が宝なり、宜しく僧璨と名ずくべし」と言い、弟子入りを許した。
僧璨は、「お前のために罪を懺し終えた」と言う言葉に安心し、慧可の下でひたすら仏法僧三宝に帰依したが、何時しかライ病も完治したと言う。(景徳伝灯録第三巻)

三武一宗の法難
ちなみに三祖僧璨は、東魏の天平2年(535年)に二祖慧可に見え、同年光福寺で具足戒を受け、慧可に弟子入り、その後二年余り、二祖慧可とともに、初祖達磨に仕えたとされる。
しかし北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗による廃仏政策、所謂『三武一宗の法難』の下、初祖達磨から四祖道信に至るまで、中国における禅宗は見る影もない有様だったようだ。
隋の開皇12年(592年)、14歳の沙弥道信が三祖僧璨に弟子入りすると、翌開皇13年(593年)に、二祖慧可が入滅した。四祖道信は三祖僧璨のほとんど唯一の弟子であったとされる。
羅浮山(広東省恵州市博羅県)の遊説から舒州の皖公山(かんこうざん:現在の安徽省安慶市潜山市)に帰還した三祖僧璨禅師は、隋の煬帝の大業2年(606年)に遷化され、唐の玄宗皇帝から鑒智禅師と諡名(おくりな)された。
僧璨禅師は、臨終に際して、「結跏趺坐して入滅される方も多いが、生死のあり方は自由だ。自分は今日も歩み続ける」と述べ、大樹に手をかけ、立ったまま遷化された。(続高僧伝)

御国の現成
イエスは、『トマス福音書』の中で「求めるものには見出すまで求めることを止めさせてはならない。そして彼が見出す時、動揺するであろう。そして、彼が動揺する時、驚くであろう。そして彼は万物を支配するであろう」と述べている。(トマス福音書第2節)
日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献氏によると、上記の『トマス福音書第2節』については、1897~1904年にかけてエジプトのオクシリンコスで発見されたギリシャ語で書かれた『イエスのロギア(言葉)』パピルス断片の一部としての『オクシリンコス・パピルス654(OP654)』と『ヘブル人福音書』の双方に、に以下のような類似の平行記事が存在する。






---  ---
OP654:
求めるものは、見出すまで求めることを止めさせてはならない。そして彼が見出す時、動揺するであろう。そして、彼が動揺する時、支配するであろう。そして、彼が支配する時、安息するであろう。
ヘブル人福音書:
求めるものには見出すまで止めさせないであろう。しかし見出す者は、動揺するであろう。そして、動揺した者は、支配するであろう。そして支配した者は、安息するであろう。
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三つの本文の流れは、次のよう整理できる。
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トマス福音書:
『求める』→『見出す』→『動揺する』→『驚く』→『万物を支配する』
OP654:
『求める』→『見出す』→『動揺する』→『支配する』→『安息する』
ヘブル人福音書:
『求める』→『見出す』→『動揺する』→『支配する』→『安息する』

人間の本来的自己支配
荒井献氏によれば、『トマス福音書』は、『OP654』と『ヘブル人福音書』の、『安息する』を、『万物を支配する』に置き換えており、また『求める』必要性が強調されている。
『求める』ことの目標は、『万物を支配』することにあり、『万物を支配する』は、『王の支配』=『御国』と同義で、トマスにとって『御国』とは、究極的には『人間の本来的自己支配』のことと言う。
つまり、トマス福音書のイエスにとって救世主の役割は、『御国の現成』、究極的には『人間の本来的自己支配』の実現にあり、祖師(達磨)西来意もまたその辺にありそうだ。



至道無難唯嫌揀択
さて、唐代末期、河北省趙州の観音院に住した趙州従諗(じょうしゅう・’じゅうしん778-897)禅師に、一人の僧が、「三祖僧璨鑑智(そうさんかんち ?-606)禅師は、その著『信心銘(しんじんめい)』において、『至道(しどう;究極の道)は、何も難しいことはない、唯だ揀択(けんじゃく:取捨選択)を嫌う』と述べているが、それでは、『不揀択(ふけんじゃく)』とはどんな境地か」と尋ねた。
趙州和尚は、「『天上天下(てんじょうてんが)、唯我独尊(ゆいがどくそん)』と言うことだ」と答えた。
すると、その僧は、「『天上』と言い『天下』と言い、また『我、独り尊し』と言うのも揀択ではないか」と突っ込んだ。
しかし趙州和尚から、「この盆暗、どこが揀択だ」と一喝されると、その僧は、黙してそれ以上語らなかった。

時人(じじん)の窠窟(かくつ)
 ところが二人の商量を傍らで聞いていた別の僧が「至道無難(しどうぶなん)、唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)などと言うのは、大空を飛ぶ鳥が羽を休める場所が必要なように、結局のところ、禅僧の隠れ家ではないか」と質した。
すると、趙州和尚は、「5年ほど前に同じ質問をされたが、今もって答えが見つからん」と、なにやら神妙な答えをした。
すると、また別の僧が、「ひとこと発すれば、既に揀択である。ならば、和尚はどうやって、衆生を済度するのか」と、詰問した。
これに対して趙州和尚は、「祖師の言葉を引いて、質問するなら全体を引用しろ。『ただ憎愛無ければ、洞然(どうぜん)として明白なり』云々と言う下の句があるだろう。」と詰(なじ)った。
すると、この僧は、「これは失礼、まだそこまで読んでいなかった」と応じた。
趙州和尚は、「まあいい。ただ、これ、しどうぶなん、ゆいけんけんじゃく」とつぶやいたと言う。



禅宗と景教シリーズ一覧
◆禅宗と景教 シリーズ01:禅宗の起源
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 01:The Origin of Zen Buddhism
◆禅宗与景教 系列 01:禅宗的起源

◆禅宗と景教 シリーズ02:廓然無聖
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 02:Clear and void, no holiness
◆禅宗与景教 系列 02:廓然无圣
◆禅宗と景教 シリーズ03:再活現成
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 03:Spiritual rebirth
◆禅宗与景教 系列 03:再活现成

◆禅宗と景教 シリーズ04:十牛図
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 04:Ten Ox Herding Pictures
◆禅宗与景教 系列 04:十牛图
◆禅宗と景教 シリーズ05:鉄牛の機
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 05:The workings of the Iron Ox
◆禅宗与景教 系列 05:铁牛之机

◆禅宗と景教 シリーズ06:驀直に去れ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 06:Go straight
◆禅宗与景教 系列 06:蓦直去
◆禅宗と景教 シリーズ07:劫火洞然
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 07:The conflagration at the end of the eon
◆禅宗与景教 系列 07:劫火洞然

◆禅宗と景教 シリーズ08:拈華微笑
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 08:Flower Sermon
◆禅宗与景教 系列 08:拈华微笑
◆禅宗と景教 シリーズ09:両手たたいて商いせん
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 09:Do your business clapping both hands
◆禅宗与景教 系列 09:不如鼓两掌做生意
◆禅宗と景教 シリーズ10:七転八倒
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 10:Writhing in agony
◆禅宗与景教 系列 10:七颠八倒

◆禅宗と景教 シリーズ11:創造の時
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 11:The time of creation
◆禅宗与景教 系列 11:创世的时
◆禅宗と景教 シリーズ12:花婿と花嫁の部屋
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 12:Groom and bridal suite
◆禅宗与景教 系列 12:新郎与新娘套房
◆禅宗と景教 シリーズ13:命の泉
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 13:Spring of water welling up to eternal life
◆禅宗与景教 系列 13:永生的泉源
◆禅宗と景教 シリーズ14:放下着
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 14:Gelassenheit
◆禅宗与景教 系列 14:放下着
◆禅宗と景教 シリーズ15:罪祭の羊Ⅰ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 15:Lamb of Sin-offeringⅠ
◆禅宗与景教 系列15:赎罪祭的羔羊Ⅰ
◆禅宗と景教 シリーズ16:罪祭の羊Ⅱ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 16:Lamb of Sin-offeringⅡ
◆禅宗与景教 系列16:赎罪祭的羔羊Ⅱ
◆禅宗と景教 シリーズ17:罪祭の羊Ⅲ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 17:Lamb of Sin-offeringⅢ
◆禅宗与景教 系列17:赎罪祭的羔羊Ⅲ
◆禅宗と景教 シリーズ18:厩戸皇子Ⅰ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 18:Prince of Stable Ⅰ
◆禅宗与景教 系列18:厩户皇子Ⅰ
◆禅宗と景教 シリーズ19:厩戸皇子Ⅱ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 19:Prince of StableⅡ
◆禅宗与景教 系列19:厩户皇子Ⅱ
◆禅宗と景教 シリーズ20:厩戸皇子Ⅲ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 20:Prince of StableⅢ
◆禅宗与景教 系列20:厩户皇子Ⅲ
◆禅宗と景教 シリーズ21:インモの道
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 21:The way of Suchness
◆禅宗与景教 系列 21:恁么道
◆禅宗と景教 シリーズ22:本来の師
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 22:One's own teacher
◆禅宗与景教 系列 22:本来师
◆禅宗と景教 シリーズ23:身心脱落
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 23:Body and mind will drop off naturally
◆禅宗与景教 系列 23:身心脱落
◆禅宗と景教 シリーズ24:万法帰一
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 24:The myriad things return to one
◆禅宗与景教 系列24:万法归一
◆禅宗と景教 シリーズ25:接物利生
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 25:Guiding and Aiding Living Beings
◆禅宗与景教 系列25:接物利生
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『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】

《景徳伝灯録第三巻》
第三十祖鑑智大師二十九祖に参ず、問いて日く、弟子の身風恙(ふうよう)に纏(まつ)わる、請う和尚罪を懺(さん)せよ。祖日く、罪を将(も)ち来れ、汝(なんじ)の為に懺ぜん。師良久(りょうきゅう)して曰(いわ)く、罪を覓(もと)むるに不可得(ふかとく)なり。祖日く、我れ汝が与(た)めに罪を懺じ竟(おわ)る、宜しく仏法僧に依(よ)りて住すべし。師日く、今和尚を見て已(すで)に是(こ)れ僧なることを知る、未審(いぶか)し何をか仏法と名く。祖曰く、是心是仏(ぜしんぜぶつ)、是心是法(ぜしんぜほう)、法仏無二(ほうぶつむに)なり。僧法もまた然り。師曰く、今日始めて知りぬ。罪性(ざいしょう)は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず、其心の如きも然り。仏法も無二なり。祖深く之を器とす、為に剃髪して曰く、是れわが宝なり、宜しく僧璨と名くべし。云々。

《信心銘》
至道は難きこと無し、唯(ただ)揀択(けんじゃく)を嫌う。但だ憎愛無ければ、洞然(どうぜん)として明白なり。毫厘(ごうり)も差(さ)有れば、天地懸隔(けんかく)す。現前を得んと欲せば、順逆を存する莫(なか)れ。違順(いじゅん)相(あい)争う、是れを心病となす。玄旨(げんし)を知らざれば、徒(いたずら)に念静(ねんじょう)を労す。円は太虚に同じく、欠くること無く、余ること無し。云々。



《碧巌録》第五十七則 趙州至道無難
擧(こ)す。僧、趙州に問う、至道は難きこと無し、唯だ揀擇を嫌うと。如何なるか是れ不揀擇。州云く、天上天下、唯我獨尊。云く、此れは猶お是れ揀擇。州云く、田庫奴(でんくぬ)、什麼處(いずれのところ)か是れ揀擇。僧語無し。



《碧巌録》第五十八則 趙州時人の窠窟
擧す。僧、趙州に問う、至道は難きこと無し、唯だ揀擇を嫌うと。是れ時人(じじん)の窠窟(かくつ)なりや。州云く、曾て人の我に問う有り、直に得たり五年分疎不下(ぶんそふげ)なることを。



《碧巌録》第五十九則 趙州唯嫌揀擇
擧す。僧、趙州に問う、至道は難きこと無し、唯だ揀擇を嫌う。纔(わずか)に語言有るや、是れ揀擇なりと。和尚は如何が人の爲にするや。州云く、什麼(なん)ぞ這(こ)の語を引き盡(つく)さざる。云く、某甲(それがし)は只だ這裏(しゃり)に念じ到るのみ。州云く、只だ這(こ)れ至道は難きこと無し、唯だ揀擇を嫌う。

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