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禅宗と景教 シリーズ28:非風非幡

六祖、因みに刹幡(せっぱん)を颺(あ)ぐ。二僧有り、対論す。一は云わく、幡(はた)
動く。一は云わく、風動くと。往復して曾て未だ理に契わず(かなわず)。
祖云わく、是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、仁者(じんしゃ)の心動くのみと。二僧悚然(しょうねん)たり。(無門関第二十九則非風非幡)
今回は、『無門関第二十九則非風非幡』の公案に参じて見ましょう。

慧能の出自
慧能の俗姓は盧氏。漢王朝末期に宮廷教師を務めた有名な范陽の盧氏族の末裔とされる父親の盧行瑫は、唐王朝の监察御史(かんさつぎょし)を務めていたが、唐武德三年西暦620年に嶺南の新州索盧県(現在の広東省新興市)に左遷(流刑?)された。唐の太宗皇帝の貞観6年西暦632年、盧行瑫は、旧郎村の李姓の女性と結婚、唐の貞観12年西暦638年慧能が生まれたが、慧能が3歳のとき、亡くなった。慧能は、町に出て柴を売って母を養ったとされる。

慧能の発心
ある日広州の街中で『まさに住する所無くして、その心を生ずべし』と言う金剛経の一節を耳にして発心した22歳の慧能青年は、跋山涉水をものともせず、はるばる湖北省黄梅県の東山寺に赴き、五祖弘忍大師に入門を求めた。
五祖が「どこから、何しに来た?」と問うと、慧能は、「仏になりたくて、嶺南の新州から来ました」と答えた。すると、五祖は「なんだ、嶺南の俚僚か!無理だ。」と答えた。当時、嶺南は、文化の低い辺境の地と見なされており、俚僚は、そこに住む住民を侮蔑する差別用語。これに対して慧能は、「生まれに南北の違いがあっても、仏性に南北などありません」と言い返した。五祖は、「オー、そうか。それじゃあ米つきでもしておれ」と言って、入門を認めたと言う。

六祖の選考
それから僅か8カ月後、五祖弘忍大師は、自身の後継者を指名するため、弟子たちにその心境を偈(詩)にして、それぞれ南廊の壁に張り出すよう命じた。上座の神秀が、「身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし。時時に払拭して塵埃をひかしむるなかれ」と大書すると、慧能も、「菩提もと樹にあらず、明鏡また台なし。本来無一物いずれのところにか塵埃をひかん」と詠み、弟子の1人に頼んで、神秀の偈の隣りに書き添えてもらった。慧能の偈を見た五祖は、『金剛経』一巻を伝授、達磨伝来の衣鉢を与え、他の弟子たちの嫉みを受けぬよう慧能を密かに南方に逐電させた。九江(山西省)の船着き場まで見送った五祖は、慧能に対し、五年間は身を隠し、説法してはならないと戒めたと言う。

預言者は故郷に入れられず(マタイ13:57)
案の定、数百人の僧が衣鉢を取り返すため慧能を追いかけた。江西省と広東省の省境に位置する大ゆ嶺で追いついたそのうちの一人、恵明上座と別れた後、慧能は、故郷の曹渓(広東省韶関市曲江区)に赴いたが、受け入れられず、四会(広東省肇慶市)の猟師の一団に身を寄せた。
六祖慧能大師の著『六祖壇経(ろくそだんきょう)』によると、慧能は、猟師たちに法を説き15年を過ごしたが、その間、網にかかった獲物は皆逃がしてやり、食事の際には肉には箸をつけず、野菜だけを食したと言う。

非风非幡
しかし何時までも隠遁生活を送ることはできないと悟った慧能は、ある日、広州の法性寺に、涅槃経の説教で有名な印宗和尚を尋ねた。
すると二人の僧が風にはためく旗を見ながら、「旗がはためくから風が動くのだ」、「いや風が動くから旗がはためくのだ」と問答を始め、互いに譲らなかった。そこで慧能が「旗が動いているのでも、風が動いているのでもない。あなた方の心が動いているだけのことだ」と言うと、二僧は悚然として黙ってしまった。

不二の法
この光景を見た印宗は慧能を上座に招き、「黄梅の衣鉢が南に伝わったと聞いていたが、もしかして、あなたではないか?」と尋ねた。慧能が「その通りだ」と答えると、印宗は、衣鉢を持ち来たり、大衆に告げるよう求めた。
印宗は「黄梅では、どのように教えを授け、どのよう教えを受けるのですか?」と重ねて尋ねた。慧能は「教えなどありません。瞑想や解脱も論じません。ただ、自分の本性を見るだけです」と答えた。印宗は「なぜ瞑想や解脱について論じないのですか?」と尋ねた。慧能は「これらは、別々のもので、仏の教えではないからです。仏法は不二の法だからです。」と答えた。

仏性こそ不二の法
そこで、印宗は「不二の法とは何ですか?」とさらに尋ねた。慧能は、「『涅槃経』には、仏性こそが不二の法であると説かれています。徳王菩薩は、仏に『もし人が四大禁戒を破り、五大罪を犯し、あるいは一闡提(いっせんだい)であったならば、善根は断たれるでしょうか?』と尋ねました。すると仏陀は『善根には二種類ある。一つは永続的なもの、もう一つは無常なものである。仏性は永続でも無常でもない。ゆえに断たれることはない。それゆえ、不二と言う。一方は善であり、他方は悪である。仏性は善でも悪でもない。それゆえ、不二と呼ばれる。凡夫は五蘊と諸界を二つと見なすが、賢者はそれらの本質が不二であることを理解する。この不二の本質こそ仏性である。』と説かれた。」
印宗は困惑したが、慧能は、「先生は涅槃経を説かれるのだから、不二の意味を理解しているはずだ」と答えた。

一闡提
ちなみに、一闡提(いっせんだい)とは、サンスクリットの『イッチャンティカ(icchantika)』の音写で、『欲求しつつある者』/『欲の塊』を原義とし、仏教の教えを信じず、成仏する因縁(素質や可能性)を欠いた者、あるいは仏法を誹謗(ひぼう)する者を指す仏教用語だが、一切の衆生を救済することを誓いながら自らは仏にならなかった菩薩もまた一闡提(いっせんだい)と呼ばれる。

印宗の弟子入りと慧能の剃髪
五祖の印可を得た自分の力量を探測する印宗の意図を見抜いた慧能は、印宗が本領とする『涅槃経』を用いて、挑戦を受けて立ち、見事に回答した。
すると、印宗は、叩頭礼拝し、「私の涅槃経の講義は瓦礫に過ぎないが、あなたの説教は真金だ」と賞賛、慧能に弟子入りすることを願った。これに対して慧能は自身の剃髪具戒を印宗に委ねた。
こうして、唐の高宗の上元三年、西暦676年、正月十五日、中国広東省広州の法性寺において慧能の剃髪式が行われた。翌月二月八日には、西安の智光律師、蘇州の慧静律師、荆州の通応律師、中天竺の耆多羅律師、西域の密多三蔵法師を、それぞれ授戒師、羯磨(karma)師、教授師、説戒師、証戒師として招請、盛大な授戒式が執り行われた。

イエスの洗礼
慧能と印宗の邂逅は、ヨルダン川に突然現れたイエスが、ヨハネから水の洗礼を受けた光景を彷彿とさせる。(マルコ1:9/マタイ3:13/ルカ3:21)
そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。(マタイ3:13-16)

北宗禅の初祖は求那跋陀羅
ちなみに五祖弘忍の法を嗣ぎ、北宗禅を興した玉泉神秀(606?-706)の弟子が著した『楞伽師資記』の系譜では、中国禅宗の初祖は求那跋陀羅(ぐなばっだら、Gunabhadra)三蔵(394–468)で、菩提達磨は第二祖に列せられている。以下、三祖慧可、四祖僧璨、五祖道信、六祖弘忍、七祖神秀、八祖普寂と続く。
玉泉神秀自身は、「五祖弘忍の正嫡は慧能である」とし、六祖慧能の講義を聴くよう中宗(高宗と武則天の子)に上奏したが、慧能は神秀の再三の説得にも関わらず病を理由に上京しなかったと言う。



忍俊不禁一場漏逗
宋代の禅僧、無門慧開和尚(1182-1260)は、『無門関第二十九則非風非幡』の公案に「風が動くのでも、旗が動くのでも、心が動くのでもなければ、六祖慧能禅師もいない。ここのところが分かれば、鉄を買って金を得たようなもので、釈迦も達磨も、笑いころげ、思わず尻尾を出すだろう」と注釈をつけた。
後小松天皇の落胤とも言われる室町時代の禅僧、一休和尚(1394-1481)は「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」と言う狂歌を詠んでいる。

【参照】
[本則]
六祖、因みに刹幡(せっぱん)を颺(あ)ぐ。二僧有り、対論す。一は云わく、幡動く。一は云わく、風動くと。往復して曾て未だ理に契わず(かなわず)。
祖云わく、是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、仁者の心動くのみと。
二僧悚然(しょうねん)たり。
無門曰く、
「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚れの處にか師を見ん。若し者裏に向って見得して親切ならば、方に二僧鐵を買って金を得るを知る。祖師忍俊不禁にして、一場の漏逗なり。」
頌に曰く、
風幡心動、一状に領過す。
只だ口を開くことを知って、話墮することを覺えず。
禅宗と景教シリーズ一覧
◆禅宗と景教 シリーズ01:禅宗の起源
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 01:The Origin of Zen Buddhism
◆禅宗与景教 系列 01:禅宗的起源

◆禅宗と景教 シリーズ02:廓然無聖
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 02:Clear and void, no holiness
◆禅宗与景教 系列 02:廓然无圣
◆禅宗と景教 シリーズ03:再活現成
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 03:Spiritual rebirth
◆禅宗与景教 系列 03:再活现成

◆禅宗と景教 シリーズ04:十牛図
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 04:Ten Ox Herding Pictures
◆禅宗与景教 系列 04:十牛图
◆禅宗と景教 シリーズ05:鉄牛の機
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 05:The workings of the Iron Ox
◆禅宗与景教 系列 05:铁牛之机

◆禅宗と景教 シリーズ06:驀直に去れ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 06:Go straight
◆禅宗与景教 系列 06:蓦直去
◆禅宗と景教 シリーズ07:劫火洞然
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 07:The conflagration at the end of the eon
◆禅宗与景教 系列 07:劫火洞然

◆禅宗と景教 シリーズ08:拈華微笑
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 08:Flower Sermon
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◆禅宗と景教 シリーズ16:罪祭の羊Ⅱ
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◆禅宗と景教 シリーズ17:罪祭の羊Ⅲ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 17:Lamb of Sin-offeringⅢ
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◆禅宗と景教 シリーズ24:万法帰一
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 24:The myriad things return to one
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◆禅宗と景教 シリーズ25:接物利生
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 25:Guiding and Aiding Living Beings
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