SEAnews Issue:from time to time
tel:65-87221054
NNNNNNNNNNNNNNN
回光返照 SEA Research, BLK 758 Yishun Street 72 #09-444 Singapore 760758
Let's turn the light inwards, illuminat the Self.
Back Page ►

禅宗と景教 シリーズ31:如来の清浄禅

中宗が復辟し唐の国号が回復された神龍元年、西暦705年、朝廷から派遣された勅使に対し、六祖慧能は、『どこから来て、どこへ行くのか知れず、生まれることも滅することもないのが、如来の清浄禅である』と解き明かした。今回は『如来の清浄禅』に参じてみましょう。

元宵節の内裏法話
武則天により廃位された第4代皇帝中宗が第6代皇帝として復辟し、国号も武周から唐に回復された神龍元年、西暦705年、中宗と皇太后武則天は、政変の節目を祝う元宵節(げんしょうせつ)の日に、東山の二杰と称された禅僧、嵩岳慧安(すうがくえあん)と玉泉神秀(ぎょくせん じんしゅう)に参内し、仏法の奥義を説くよう命じた。ところが、両僧は共に辞退するとともに、この栄誉を受けるに相応しい人物として、五祖弘忍の正嫡、六祖慧能禅師を推挙した。そこで、中宗は、薛簡(せつかん)を勅使として広東省の曹渓へ派遣した。

如来の清浄禅
そんな事情もあってか、六祖慧能も、体調不良を理由に、「片田舎の山林で余生を過ごしたい」旨を述べ、上京を固辞した。
この時、薛簡は、「都の禅僧は皆、『道を得んとするものは、坐禅せねばならない。坐禅をしないで解脱することはできない』と説いているが、あなたはどう思いますか」と、慧能に質問した。
慧能は「道は心を用いて悟るもので、坐してするものではない。金剛経には、『如来はもし坐し、もし臥すと言うは、邪道を行ずるなり』と説かれている。何故そうなのか。どこから来て、どこへ行くのか知れず、生まれることも滅することがないのが、如来の清浄禅である。一切の仏法は時空の存在を超えている。究極の解脱は証明しようがないのに、坐っただけで実現できるだろうか。」と反問した。(六祖壇経)

再活现成
イエスが過ぎ越しの祭りにエルサレムにのぼり、神殿の商人を追い払った日、パリサイ人のひとりで、ニコデモというユダヤ人の指導者が夜半に、イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできません」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれても新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。
ニコデモは言った、「人は年をとってからうまれることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである」と。(ヨハネ3:1-8)
イエスは、ニコデモに対して『原初的統合』が『霊的再生』、禅者の所謂『再活现成』を通じて初めて回復されることを明らかにしたものと見られる。

『原初的統合』とは何か
イエスが言った、「多くの人々が戸口に立っている、しかし、花嫁の部屋に入るであろう者は、単独者だけである」(トマス75)。
日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、『花嫁の部屋』の原語『ニュンフォーン』は文字通りには『結婚の場所』で、分離した男女が知恵(グノーシス)により原初的統合を回復する『聖なる結婚』の秘儀の場所とされ、ピリポ福音書の五つの典礼では最高の地位を与えられている。男と女が一人、すなわち『単独者』として入ることが約束されている『御国』の象徴である。『単独者』とは、『分裂を超えて、原初的統合(propator = original Self)を自己の内に回復する者』を意味し、この本来の自己による支配の実現が『御国』の現成を意味する。トマス福音書では『単独者』と言う句がキーワードとして繰り返し使用されている。
トマス福音書75節は、以下の74節と対句だった可能性がある。
彼が言った、「主よ、泉のまわりには多くの人々がおりますが、泉の中には誰もおりません」(トマス74)。
『泉』とは、それから飲めばイエスのようになることを約束された『命の泉』、本来的自己の象徴で、『花嫁の部屋』同様『御国』を指している。古代キリスト教最大の神学者とされるアレクサンドリアのオリゲネス(182?-251)は、『ケルソス反駁』において、「多くの人々が泉のまわりにいるのに、誰もその中に入らないのは何故か?」と問うている。

唯仏与仏
インド各地で四十余年にわたり説法を続けた後、釈迦は、十大弟子の一人舎利仏(しゃりほつ)に、「舎利仏よ、この世の諸現象を貫通する真理、つまり実相は、仏のみが理解でき、凡夫には到底理解できない。ただ仏が仏に与え、究尽すべきものである。舎利仏よ、凡夫に対して説明するのは無駄である。しかし自分は今、菩薩の中にあって、正直に方便を捨て、無上道を説こう(法華経方便品第二)」と述べ、無上の教え『法華経』を説かれた。
仏の究極の教えを理解できるのは仏だけであり、命の泉から飲むことができるのは、イエスと和合して単独者になることができる者だけである。多くの大衆が教会に集っても、泉に入る者がいないのは驚くに当たらない。

荷澤神会と顕宗記
一方、景德傳燈錄(けいとくでんとうろく)の西京荷澤神会禅師(せいけい かたく じんね ぜんじ)の項には、以下の記述が見られる。
---  ---
祖師(慧能)滅后、二十年間、曹渓の頓旨、荊呉に廃(すた)り、嵩嶽の漸門、秦洛に盛行す。師(神会)入京し、天宝四年(745年)、方(まさ)に両宗(南能頓宗/北秀漸教)を定む。乃(すなわ)ち顕宗記(けんそうき)を着(あらわ)し、世に盛行す。
---  ---
つまり五祖弘忍(ぐにん)が慧能を後継者に指名したにも関わらず、首都長安や洛陽(秦洛)では、神秀上座や慧安が率いる、漸悟を重んじる北宗禅が盛況を極めており、それに引き換え、頓悟を重んじる六祖慧能が率いる南宗禅は、根拠地の曹渓においてさえ、慧能の死後20年間にほとんど生滅してしまったようだ。
しかし、天宝四年(745年)に、荷澤神会禅師が、首都長安あるいは、洛陽に赴き、南頓北漸の宗風の相違を明確にし、南頓禅を鼓吹する『顕宗記』を著したことから、慧能禅師を第六祖とする中国禅宗の伝統が定まったものと見られる。
興味深いことは、北宗禅の始祖と目され、則天武后の帰依も受けた玉泉神秀禅師(606?-706)が、慧能禅師を中国禅宗統合の第六祖に定める上で重要な役割を演じたことが窺がえる点である。
禅宗と景教シリーズ一覧
◆禅宗と景教 シリーズ01:禅宗の起源
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 01:The Origin of Zen Buddhism
◆禅宗与景教 系列 01:禅宗的起源

◆禅宗と景教 シリーズ02:廓然無聖
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 02:Clear and void, no holiness
◆禅宗与景教 系列 02:廓然无圣
◆禅宗と景教 シリーズ03:再活現成
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 03:Spiritual rebirth
◆禅宗与景教 系列 03:再活现成

◆禅宗と景教 シリーズ04:十牛図
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 04:Ten Ox Herding Pictures
◆禅宗与景教 系列 04:十牛图
◆禅宗と景教 シリーズ05:鉄牛の機
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 05:The workings of the Iron Ox
◆禅宗与景教 系列 05:铁牛之机

◆禅宗と景教 シリーズ06:驀直に去れ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 06:Go straight
◆禅宗与景教 系列 06:蓦直去
◆禅宗と景教 シリーズ07:劫火洞然
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 07:The conflagration at the end of the eon
◆禅宗与景教 系列 07:劫火洞然

◆禅宗と景教 シリーズ08:拈華微笑
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 08:Flower Sermon
◆禅宗与景教 系列 08:拈华微笑
◆禅宗と景教 シリーズ09:両手たたいて商いせん
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 09:Do your business clapping both hands
◆禅宗与景教 系列 09:不如鼓两掌做生意
◆禅宗と景教 シリーズ10:七転八倒
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 10:Writhing in agony
◆禅宗与景教 系列 10:七颠八倒

◆禅宗と景教 シリーズ11:創造の時
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 11:The time of creation
◆禅宗与景教 系列 11:创世的时
◆禅宗と景教 シリーズ12:花婿と花嫁の部屋
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 12:Groom and bridal suite
◆禅宗与景教 系列 12:新郎与新娘套房
◆禅宗と景教 シリーズ13:命の泉
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 13:Spring of water welling up to eternal life
◆禅宗与景教 系列 13:永生的泉源
◆禅宗と景教 シリーズ14:放下着
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 14:Gelassenheit
◆禅宗与景教 系列 14:放下着
◆禅宗と景教 シリーズ15:罪祭の羊Ⅰ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 15:Lamb of Sin-offeringⅠ
◆禅宗与景教 系列15:赎罪祭的羔羊Ⅰ
◆禅宗と景教 シリーズ16:罪祭の羊Ⅱ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 16:Lamb of Sin-offeringⅡ
◆禅宗与景教 系列16:赎罪祭的羔羊Ⅱ
◆禅宗と景教 シリーズ17:罪祭の羊Ⅲ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 17:Lamb of Sin-offeringⅢ
◆禅宗与景教 系列17:赎罪祭的羔羊Ⅲ
◆禅宗と景教 シリーズ18:厩戸皇子Ⅰ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 18:Prince of Stable Ⅰ
◆禅宗与景教 系列18:厩户皇子Ⅰ
◆禅宗と景教 シリーズ19:厩戸皇子Ⅱ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 19:Prince of StableⅡ
◆禅宗与景教 系列19:厩户皇子Ⅱ
◆禅宗と景教 シリーズ20:厩戸皇子Ⅲ
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 20:Prince of StableⅢ
◆禅宗与景教 系列20:厩户皇子Ⅲ
◆禅宗と景教 シリーズ21:インモの道
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 21:The way of Suchness
◆禅宗与景教 系列 21:恁么道
◆禅宗と景教 シリーズ22:本来の師
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 22:One's own teacher
◆禅宗与景教 系列 22:本来师
◆禅宗と景教 シリーズ23:身心脱落
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 23:Body and mind will drop off naturally
◆禅宗与景教 系列 23:身心脱落
◆禅宗と景教 シリーズ24:万法帰一
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 24:The myriad things return to one
◆禅宗与景教 系列24:万法归一
◆禅宗と景教 シリーズ25:接物利生
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 25:Guiding and Aiding Living Beings
◆禅宗与景教 系列25:接物利生
◆禅宗と景教 シリーズ26:唯嫌揀択
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 26:Just refrain choosing
◆禅宗与景教 系列26:唯嫌拣择
◆禅宗と景教 シリーズ27:六祖の襲名
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 27:The succession to the sixth patriarch
◆禅宗与景教 系列27:六祖的袭名
◆禅宗と景教 シリーズ28:非風非幡
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 28:Not the Wind, Not the Flag
◆禅宗与景教 系列28:非风非幡
◆禅宗と景教 シリーズ29:説似一物即不中
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 29:To speak about a thing is to miss the mark
◆禅宗与景教 系列29:说似一物即不中
◆禅宗と景教 シリーズ30:もし本有らば主を識るべし
◆Zen Buddhism and Nestorianism Series 30:If you have your original face, you should know the Lord.
◆禅宗与景教 系列30:若有本、即合識主
ご購入はこちら

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
ご購入はこちら



SEAnews Messenger


SEAnewsFacebook


SEAnews eBookstore


SEAnews world circulation


[Your Comments / Unsubscribe]/[您的意见/退订]/[ご意見/配信停止]
Please do not directly reply to the e-mail address which is used for delivering the newsletter.
请别用递送新闻的邮件地址而直接回信。
メールをお届けした送信専用アドレスには返信しないで下さい。
SEAnews 掲載記事の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
Copyright 2003 SEAnews® All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.