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歴史の反省
韓国に続く中国との関係緊張も峠を越えたようだが、私自身明治維新以来の歴史をもういちど振り返る良い機会になった。
日中韓の歴史教科書の視点
日本、中国、韓国は過去百年余の近代史を共有しており、日清、日露、そして太平洋戦争を通じて日本は加害者、中国と韓国は被害者の立場にあった。このため歴史教科書の内容は、当然のこととして日本ではできるだけ加害者としての立場を薄めるよう配慮され、中国と韓国では被害者としての立場を強調するよう配慮されている。今日の日中関係、日韓関係の緊張はこうしたギャップにより増幅されているのではないだろうか。
日本を近代国家として立ち上げ、列強の侵略を未然に防いだ明治維新以来の歴史は確かに日本人が誇りとするに値するものだ。五箇条のご誓文等には、信じがたいほど民主的で近代的な発想が含まれている。こうした発想は恐らく勤王佐幕の志士らが多くの殺戮を繰り返した後、その空しさを反省する過程で生まれたのだろう。
西郷、毛沢東、ポルポト
西郷等の志士の言行にはそうした宗教観や哲学がかいま見られる。しかしその同じ西郷が同時に征韓論者でもあるのは悲しいことだ。とは言えこうしたことは日本に限ったことでなく、中国の偉大な指導者毛沢東も大躍進(1958-1960)や文化大革命(1966-1976)の時期には多くの民衆を犠牲にしたと聞く。毛沢東は依然として偉大な指導者としての地位を保っているが、カンボジア解放の英雄ポルポトの末路に至っては惨憺たるものである。
東条英機とヒットラーのパン種
歴史の反省は東条英機やヒットラーのみを悪者にし歴史から葬り去っただけでは済まない。何故ならこうした人々の中に存在したのと同じパン種が我々の心に存在するかもしれないからだ。一面で優秀な才能や理想、宗教心ももったこれらの人々が、誤りを犯した理由を突き止めないなら、我々自身また同じ過ちを繰り返すことにならざるを得ない。
靖国神社は歴史反省の場
靖国神社は元来明治維新の志士らの慰霊鎮魂のために設けられたものと言う。日本人が明治維新以来の歴史を振り返り、父祖の残した遺産と負債全てを受け継ぎ、平和の誓いを新たにする場とするなら、中国や韓国等の隣国も理解してくれるのではないだろうか。
真の反省は世界の領土紛争を止揚
もしまた日本人が明治維新以来の歴史を真に反省し、問題を突き止めることができるなら、単に竹島や尖閣列島の領有権問題にとどまらず、南北朝鮮問題も、中台問題も、ひいては中東問題も解決することができるかも知れない。少なくともそうした希望の光を日本人の手により灯すことができるのではないだろうか。
回光庵返照居士(2005/04/27)
参考:
五箇条の御誓文
一、広ク会議ヲ興(おこ)シ、万機公論(ばんきこうろん)ニ決スベシ
一、上下(しょうか)心ヲ一(いつ)ニシテ、盛(さかん)ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ
一、官武(かんぶ)一途(いっと)庶民(しょみん)ニ至(いた)ル迄(まで)、各(おのおの)其(その)志(こころざし)ヲ遂(と)ゲ、人心(じんしん)ヲシテ倦(う)マザラシメン事ヲ要(よう)ス
一、旧来(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地(あめつち)ノ公道(こうどう)ニ基(もとづ)クベシ
一、知識ヲ世界ニ求メ、大(おおい)ニ皇基(こうき)ヲ振起(しんき)スベシ
我国未曾有(みぞう)ノ変革ヲ為(な)サントシ、朕躬(み)ヲ以テ衆ニ先ンジ、天地神明ニ誓ヒ、大(おおい)ニ斯(この)国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦(また)此(この)趣旨ニ基キ協心努力セヨ。
(1868年3月14日、明治天皇は、五箇条の御誓文を発布、新たな国家の方針を明らかにした。その前年には、第15代将軍、徳川慶喜が大政を奉還、王政復古の大号令が発せられた。)
西郷隆盛
1827年12月7日薩摩藩士として鹿児島加治屋町に生まれる。通称吉之助、号は南洲。若くして陽明学を学び、無参禅師に参禅する。藩主島津斉彬に重用され、国事に奔走するが、奄美大島に2度流される。
1864年上京(京都)、後に木戸孝允と薩長連合を結成、1867年12月に王政復古の大業を成就、江戸城の無血開城を実現した。
その後故郷に退隠するが、明治4年(1871年)、三条実美以下新政府首脳の懇請を受けて上京、参議に就任、廃藩置県等、近代国家建設に主動的役割を担う。
しかし明治政権の改革の下、下級武士の生活が益々困窮化する中で、それ自身下級武士出身の西郷は局面を打開するため征韓論を唱え、自ら韓国大使の職を求めるが、明治6年の政変で下野、その後西南戦争に敗れ自決した。享年51歳。明治22年2月、明治天皇の特旨により賊名を返上、正三位を追贈された。
辞世の句:大君の ためには何か おしからむ為 薩摩の迫門に 身は沈むとも
東条英機
明治17年(1884)~昭和23年(1948)。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。ドイツ駐在武官、陸軍省動員課長、歩兵第一連隊長、関東軍参謀長、陸軍次官、航空総監兼航空本部長を歴任、1940年第2次近衛内閣に陸軍大臣として入閣。1941年10月、近衛内閣退陣の後を受けて内閣を組織、陸相・内相を兼任する。1941年12月対米英に開戦した。1944年には参謀総長も兼任したが、同年7月退陣に追い込まれた。敗戦後自殺未遂、A級戦犯として1948年に絞首刑。
辞世の句:明日よりは だれにはばかる ところなく 弥陀のみもとで のびのびと寝む
パン種
わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい。(マタイ伝16章11節)