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書評:聖霊のバプテスマ(賓主歴然)

ある日、東西両堂の首座が出会い頭に同時に「カーツ」と叫んだ。一人の僧が臨済禅師に「賓主がありますか」と聞いた。禅師は「賓主歴然」と答えた。(臨済録)
イエスの動揺
ヨハネ福音書は、エルサレムに入城したイエスが、数人のギリシア人と面会した後、苦悶の表情を浮かべ「今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この世に来たのです。(ヨハネ12:27)」と述べ、俄に動揺し始めたことを書き添えている。
イエスは、その後、神殿でファリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党の指導者らとの公開討論に臨み、十二使徒と最後の晩餐を共にしたが、イエスの苦悶は、ゲッセマネの祈り、そして「父よどうして私をお見捨てになるのか」(マルコ15:34, マタイ27:46)と言う十字架上の絶叫により、クライマックスに達する。このことから、イスラエルの王としてエルサレムに入城した後、当初描いたシナリオとは異なる事態が生じたことが窺える。
一枚岩でない教会運動の担い手
なぜ、そのような事態が生じたのだろうか。主因は、十字架計画が様々な勢力のせめぎ合いの中で準備されたためと見られる。イエスは、こうしたせめぎ合いに乗じて自身の計画を遂行しようとしたが、イエスが先頭に立つ決意をした教会運動そのものが一枚岩ではなかった。この運動には、マケドニア出身のルカやキプロス出身のバルナバのようなグレコ・ローマン文化に親しんだヘレニストだけでなく、たとえばキレネとアレクサンドリア、さらには、キリキア州とアジア州出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々(使徒6:9)など、ヘブライスト(ヘブライ語に堪能なユダヤ人)以上にユダヤ教原理主義に近い信仰を保持する人々も含まれていたようだ。

神殿の権威を認めぬエッセネ派
またイエスが十二使徒と最後の晩餐を共にした会場は、エッセネ派の集会所だったとされるが、エッセネ派は、神殿の権威を認めていなかった。これに対して、イエスの弟、小ヤコブはユダヤ教原理主義グループ、ナジル派を代表し、神殿における祭祀を執り行っていたとされ、おそらく大祭司カイアファやその義父アンナスを頂点とした司祭階級のサドカイ派と緊密な関係を保持していたものと思われる。
エッセネ派は、『神を愛する事と隣人を愛する事は一つ、すべての律法はこれに帰結する』と説いたファリサイ派のラビ・ヒレルの支持者らにより組織されたとされ、自分のことをファリサイ派と称したパウロは、ヒレルの孫のガマリエルを師匠とした一方で、『解放された奴隷の会堂』とも関係を有していたとされる。

ファリサイ派とサドカイ派の起源
ファリサイ派の起源は、セレウコス朝のアンティオコス4世エピファネス王が任命した大祭司イェホシュア・ベン・シモン2世(ヤソン)の正統性に疑義を呈し、抗議したグループにさかのぼり、同グループにより「悪の祭司」として非難されたヤソンの後継者とその支持者が、サドカイ派と呼ばれた。
水と油の関係にあるこれらの組織は、この年の過ぎ越の祭りに照準を合わせ、それぞれ異なる十字架計画を準備していたものと見られる。イエスはそれ自身の計画を遂行しようとしたが、状況は時々刻々変化し、イエスが当初描いたシナリオとは異なる事態が生じたものと見られる。
はじめに言葉があった原点、つまり絶対軸に立つなら、草木国土は、過去現在未来を通じて悉皆成仏していることがわかる。イエスは、この究極の救いを伝えるために、この世に使わされた自分こそ十字架計画の主役であり、シナリオライターであると自負していたが、相対界は、無常迅速であり、そのイエスでさえ予期せぬ事態に直面し、苦悩を強いられたようだ。

賓主歴然
曹洞宗の開祖洞山良价禅師(807-869)が、神山僧密禅師と湖南省長沙郊外龍山の渓流に沿って行脚した際のこと、山岳の深淵な景色に見とれた良价禅師は、密禅師に、「こんな山奥にはさぞかし隠者がいることだろう」と語った。
案の定、10里ばかり進むと、やせ細った一人の老人が手をこまねきながら、「このあたりは道もないのに、お前たちは一体何処へ行くつもりだ」と呼びかけてきた。
良价禅師は、「道がないとおっしゃるが、そう言う庵主はどうやってこんな山奥にお出でになったのか」と問い返した。すると老人は「わしは雲から生まれた訳でも水から生まれた訳でもないよ」と返事した。「もうどれくらいここにお住みか」と、良价禅師が重ねて尋ねると、老人は「春秋など(時間)、もう超越したよ」と答えた。そこで良价禅師が「庵主が先ですか、この山が先ですか」と尋ねると、老人は、「知らん」と一蹴した。良价禅師が「どうして知らんのですか」と執拗にただすと、老人は、「わしは、おまえたちのような人天の有象無象ではない」と答えた。良价禅師は負けずに、「それならまたどういう訳で、この山に住み着いたのですか」と聞いた。すると老人は、「そう言えば、二頭の泥で作った牛が格闘しながら海に飛び込むのを見たが、あれから何の消息もないなあ」と、つぶやいた。
これを聞き居住まいを正し、兄貴分の神山僧密禅師とともに、老人(龍山)の庵を訪ねた良价禅師は、改めて老人以下の一連の質問をし、教えを請うた。
洞山:「如何なるかこれ主中の賓?」
龍山:「青山、白雲を覆う。」
洞山:「如何なるか、これ主中の主?」
龍山:「長年、戸を出ず。」
洞山:「主賓あい去ることいくばくぞ。」
龍山:「長江水上の波。」
洞山:「賓主相まみえ、何の言か説くことありや?」
龍山:「清風、明月を払う。」
問答を終えた、良价禅師は礼拝し、とどまることを請うた。つまり弟子入りしたいと述べた。すると老人は、笑って「三世(過去現在未来)を超脱したこの茅葺き小屋に住めば、神光に照らされ万境が静まり寂滅の境地にひたることができる。浮き世の穿鑿を離れ、是非をもって評しない。それが深山隠棲の心さ」と語ったと言う。
[洞山語録]
イエスの二つの異なる指示
イエスは当初弟子たちに、自分が十字架に処せられた後、『ガリラヤに戻れ(マルコ14:28,16:7,マタイ28:7,10)』と指示したが、使徒行伝によると、処刑後3日目に復活したイエスは、『エルサレムに留まれ(使徒1:4)』と言う別の指示を出したとされる。
元々、弟子たちより早くガリラヤに戻る計画だったイエス(マタイ26:32,マルコ14:28)は、最後の晩餐の席で、譬えガリラヤに戻ることができなくても、計画通り十字架に処せられる決意をイスカリオテのユダに伝え、ユダは直ちに晩餐会場に隣接した大祭司カイアファの屋敷にそのことを報告したものと見られる。

語られぬエルサレム教団主流派の活動
イエスの死後、弟ヤコブを頂点とするエルサレム教会が発足した後も、各派のせめぎ合いは続いたようだ。『使徒行伝』によれば、ペテロやヨハネを中心にしたグループは、エッセネ派の集会所を拠点に活動していたようだが、ダビデとアロン双方の血筋を引く祭司階級の小ヤコブや弟たち(マタイ、シモン、ユダ等)が、神殿の権威を否定するエッセネ派の集会所に頻繁に出入りしたとは考えられない。使徒行伝が、彼等(イエスの弟たち)の活動をほとんど伝えていない原因の一つはそのためかも知れない。これらの弟子たち(エルサレム教団主流派)は、神殿を拠点に活動し、『主の祈り』等のキリスト教会の典礼確立に主要な役割を果たしたものと見られる。
『使徒行伝』は、ヤコブに率いられるエルサレム教団主流派の活動にほとんど触れていないだけでなく、パウロの言葉を借りて『残忍な狼ども』(使徒20:29)と形容している。しかし、ペテロやヨハネがイエスの処刑後、直ちに大祭司邸に隣接したエッセネ派の集会所を拠点に活動を開始し、頻繁に神殿に出入りしただけでなく、最高法院における証言の機会も認められたこと、さらには、一旦捕縛されたペテロが天使の導きで脱獄に成功したと言う逸話の背後にも、ヤコブがその影響力を行使したことがうかがえる。
これら主流派内の両派、すなわちペテロ/ヨハネ・グループ(洗礼者ヨハネの元弟子グループ)と小ヤコブと弟達グループ(ナジル派)が、神殿の内と外で、エルサレム教会の両輪として活動したことが、エルサレム教会の発足当日に入信者が3000人にのぼるほどの成功を実現できた主因と見られる。しかし、こうした成功は、他派の嫉妬も生じさせ、エルサレム教会の非主流派、例えば、ペテロ/アンデレ/ヨハネ以外の洗礼者ヨハネの信奉者やエッセネ派に対する迫害が生じ、大ヤコブやステファノがその犠牲になったものと見られる。しかし、小ヤコブは彼らを救うためにその絶大な影響力を行使しなかったようだ。このことが、使徒行伝が、イエスの弟たちの活動を伝えていない、もう一つの原因かも知れない。
一方、トマス、ピリポ等のグノーシス・グループは、『世界各地に離散したユダヤ人をエルサレムに呼び戻し、イスラエルを復興する』と言う極めて政治色の強い十字架計画やエルサレム教会の活動には、初めから距離を置いていたものと見られる。<以下次号>

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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