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人はパンのみにて生きるにあらず--イエスと臨済が語るビジネス道
イエスの労働体験
父から王族の家系を、母から宗教を司るレビ族の血を継いだイエスは、宗教界や政界の指導者とも交わることが可能なエリート階級に属していたが、父親のヨセフが、比較的早く亡くなったことから、農園や牧場、酒造所、建築現場等で働き、母親を助け幼い弟妹の生活を支えていたようだ。
イエスの宗教知識は母親譲りと見られるが、その説教には、日雇い労働者として農園や石切場で働いた生活体験が反映されている。イエスはこうした体験を通じて「人は決してパンのために働くのではない、神の口からでるひとつひとつの言葉を実現するために働くのだ」(マタイ4:4)、「神の言葉を託されたものは神そのものである」(ヨハネ10:35)と言う信念を培い、『人の子が即ち神の子』であると言う福音を伝えるために布教を開始したものと見られる。
パウロの天職論

パウロはローマ信徒に宛てた手紙の中で、「私たちの身体が多くの部分に分かれ、それぞれの部分に特有の機能が存在するように、救世主の身体も同様です。私たちは1つの身体の多くの部分であり、私たちはお互いに依存しあっているのです。神はその慈悲心の故に、私たちがある種のことをうまく処理することができるように異なる能力をお与えになりました。ですからもし神があなたに予言する才能をお与えになったのなら、神があなたにお与えになった最大限の信仰心をもって預言したらいいです。もしあなたの使命が他人に奉仕することなら奉仕し、あなたが1人の教師なら教えに専念しなさい。」と説いている。(ローマ12;4-7)
羊飼いと雇い人の相違
イエスはまたヨハネ伝の中で「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊を捨てて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。」(ヨハネ10:11-13)とも語っている。
ここでイエスは羊飼いと雇い人の二つの生き方を説いており、常におおかみ食われて死ぬのがよいと言ってる訳ではない。実際、イエスは十字架にかかる日と定めた過ぎ越しの祭りが来るまでは、「私の時はまだ来ていない」と述べ、たびたび追っ手から逃れている。

羊飼いが命をかけるべき天職か否かは、神の意思にかかっており、神の意思を見極め得るか否かで信仰の真価が決まる。過ぎ越しの祭りの1ヶ月以上前から、かつて洗礼者ヨハネが伝道の拠点とした渓谷とエルサレム郊外のラザラスの家を往復して準備を整えて来たイエスでさえ、最期の晩餐を終えた後、「この苦杯を過ごさせたまえ」(マタイ26:39)と神に懇願し、血の汗を絞ったとされる。神の真意を見極めることは、イエスにとっても難しかったようだ。
臨済の無位の真人
唐代の禅僧臨済は「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位(いちむい)の真人(しんにん)あり。常に汝ら諸人の面門(めんもん)より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」(臨済録)と喝破した。無位とはどこにも住するところのない自由無碍の意である。パウロもローマ信徒に対して、「『御言葉はあなたの近くにあり、あなたの言葉の中に、あなたの心のなかにある』と聖句は述べています。この言葉こそ私たちが説く信仰の要です。」(ローマ10:8)と説いている。
臨済はさらに続けて語る。「道流(どうる)、仏法は用巧(ゆうこう)の処無し。祗(ただ)是れ平常無事、あ屎送尿(あしそうにょう:大小便)、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、困し来たれば即(すなわち)臥す。愚人は我を笑う、智は乃(すなわ)ち焉(これ)を知る。古人云く、外に向かって工夫を作す、総に是れ癡頑(ちがん)の漢(かん)、と。汝、且(しばら)く随処に主となれば、立処皆真なり。境来れども回換(えかん)することを得ず。縦(たとい)従来の習気(じっけ:過去の煩悩の余習)、五無限の業(無限地獄に堕ちるべき罪業)有るも、自ら解脱の大海と為る。{諸君、仏法は手練手管を用いない。あるがままである。大小便をし、寒ければ纏い、腹が減れば食らい、眠くなったら寝るだけだ。愚人は笑うが、智者はそこのところが分かる。古人も述べているように、外に向かって工夫をこらすのは愚の骨頂だ。外境は換えられないが、随所に主となれば、立処みな真となる。そうすることができるなら過去の煩悩の余臭紛々とし、無限地獄に堕ちるべき悪行の限りを尽くした者でも、解脱の大海に遊ぶことができる}」(臨済録)と。
食輪法輪並転
煎じ詰めれば、大小便から衣食住に至るまで日常生活の一挙手一投足が仏法を修し証すること、御言葉を宣べ伝えることに他ならない。ビジネスもまた然り、単に利益を出し食輪を転じただけでは不十分で、法輪を転じて初めて『神は我と共にあり』(マタイ1:23)と言う究極の満足感を得られる。法輪を転じるなら食輪も必ず転じる(大灯録)。ただし現世においては両者の周期は必ずしも一致しない。食輪は一年、一ヶ月、一日ごとに結果を出さねばならないが、法輪の方は100年先、千年先を見越して転じる必要がある。(回光庵返照:2010/01/03)

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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