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書評:聖霊のバプテスマの十八式

エルサレム郊外で、聖霊のバプテスマを施す活動に乗り出したイエスは、洗礼者ヨハネの弟子との間に清めの論争が生じたことから運動の拠点をガリラヤのカファルナウムに移した。
5切れのパンと二匹の魚

ニサンの月(太陽暦3~4月)の新月から数えて14日乃至15日に祝われる『過ぎ越の祭り』が近づいた頃、イエスは弟子とともにガリラヤ湖の対岸にわたり、山裾に集まった5000人の群衆に5切れのパンと二匹の魚をふるまった。
翌日カファルナウムに戻ったイエスが教会堂に赴くと、ガリラヤ湖をわたって追いかけて来た前日の聴衆の一部がそこにいた。そこでイエスは「あなた方が私を追いかけて来たのは、徴(しるし)を見たからではなく、パンを食べ満腹したからだろう。よくよくあなたがたに言っておく。朽ちてなくなる食べ物のために働くのではなく、永遠の命に至る食べ物のために働くがよい」と諭した。(ヨハネ6:22-27)
まことのパン

すると人々は「神が我々に与えた使命を果たすために、何をしたらいいか」と尋ねた。イエスは「あなた方の目の前に神が使わした私がいるではないか、私に手を合わせなさい」と答えた。(ヨハネ伝6:28-29) 人々は、イエスの答えに満足せず、「モーセは砂漠で天から得たパンを施し、イスラエルの民の信頼を得たが、あなたは一体どんな徴を見せてくれるのか」と問うた。
イエスは、「天からのパンをあなた方に与えたのは、モーセではない。天からの真(まこと)のパンを与えるのは私の父である。そして私こそ、この世に永遠の命を与えるために天から使わされた真のパンである。私に来るものは決して飢えることがなく、私を信じるものは、決して渇くことがない。あなた方の先祖は荒野でモーセから受けたマナを食べたが、皆死んでしまった。しかしこのパンを食べるものは決して死ぬことがない」と説き聞かせた。(キリスト教の起源 P.371)
イエスは、神殿や会堂における聖職者や一般聴衆との問答において独特の弁証法を展開、本来、言葉や文字では表せない神そのものを、すなわち聖霊(ホーリー・スピリット)を伝えた。すなわち聖霊のバプテスマである。イエスは、自分のバプテスマを受けたものは、霊的に再生し、永遠の命を得ることができると説いている。
聖霊のバプテスマの18式

再活現成(霊的再生)を根本宗旨とする禅宗においても、師家は学人の霊的再生を助けるため、室内や室外の商量を通じ、学人を追い詰める。中国宋代の汾陽善昭禅師(947-1024)は学人と師家のこうした問答を十八種類に分類しており、禅林では古来『汾陽十八問』と称している。ちなみに『汾陽十八問』は、質問の仕方ではなく、師家と学人の商量全体のスタイルを分類したものである。
01)請益(問):学人が師家に単刀直入に仏教の根本原理等にについて問う。
02)呈解(問):学人が師家に自分の見解(けんげ)を示して教えを請う。
03)察弁(問):自分では解き得ない難問を示し、解決を求める。
04)投機(問):学人が自分が得た境地をその場の状況に応じ臨機応変に提起し教えを請う。
05)偏僻(問):学人が一側面に偏した見解を提起し、師家に執拗に回答を求める。
06)心行(問):学人が修行の心得を師家に問う。
[例]「興化和尚にお伺いする。学人なお白黒未分、ご教示を」。化、聞き終わらぬうちに打つ。
07)探抜(問):学人がある種の見解の深浅を師家に問う。
08)不会(問):学人が分からぬことを質問する。
[例]「玄沙和尚にお伺いする。学人(私)はどのように禅門に入ったら良いでしょうか。ご指導下さい」。沙いわく「渓谷の水音が聞こえるか」。僧いわく、「聞こえます」。沙いわく、「ならばそこから入れ」。
09)警担(問):学人が師家を試す。
10)置(問):学人が古人の言を引いて師に質問する。
11)故(問):学人が経論故事にたくして質問する。
12)借事(問):学人が事に借りて質問する。
13)実(問):学人が実際の事象に照らして質問する。
14)假(問):学人が仮説を立てて質問する。
15)審(問):学人が不審(いぶかし)いところを提起して質問する。
16)徴(問):学人が詰問口調で質問する。
17)明(問):学人が既に明らかなことを質問する。
18)黙(問):学人が言葉を用いず、動作で質問する。
趙州のスピリット

唐代末期、河北省趙州の観音院に住した趙州従諗禅師(778-897年)に、一人の僧が「達磨大師がはるばる中国にやって来た目的は 何か」と尋ねた。趙州和尚は庭先の柏槙(びゃくしん)の木に目を向けると「そこだ、そこだ」と答えた。僧は趙州の答えに満足せず、「和尚、境をもって示すなかれ」と詰(なじ)った。趙州は「俺は境など示していないぞ」と応じた。そこで僧は重ねて「祖師が中国にやってきた目的は何か」と問うた。すると趙州和尚はまた「庭前の柏樹子」と答えた。
《無門関》と言う公案録を遺した宋代の禅僧、無門慧開和尚(1182-1260)は、この商量に「もし趙州和尚の答處(スピリット)を体得するなら、釈迦もなく、弥勒もない」とコメントしている。釈迦が菩提樹の下で、天上天下唯我独尊と証見した境地からすれば、彼我の別はなく、草木国土は皆成仏しているが、学僧は趙州のスピリットをくみ取ることができなかったようだ。
同様に「私の肉を食らい、血をすするものだけが、永遠の命を得ることができる」と言うイエスの説教を聞いて、多くの弟子が「これはひどい。とても聞いてはいられない」とつぶやき、イエスの下を去ったと、ヨハネ福音書は記している。弟子までも動揺しているのを見てとったイエスは「私が語る言葉はスピリットであり、命である。スピリットこそ命であり、(魂の抜け出た)肉は何の役にも立たない」説き聞かせた(ヨハネ伝6:60-63)。 裏返して言えばスピリットさえくみ取るなら、何を食べようが、何を飲もうが、それがすなわちイエスの肉であり、イエスの血である。同様に庭前の柏樹子も乾屎橛(カンシケツ:くそかきべら/乾燥した糞)も祖師西来意であり、仏である。 (キリスト教の起源 P.371)
『汾陽十八問』の予型
《無門関》第三十七則と《趙州録》に収録されているこの公案は、“一側面に偏した見解を提起し、執拗に回答を求める『編辟問』"に分類されているが、イエスも、血を飲むことを禁じられたユダヤ教徒には到底受け入れられない極端な説教を行い、たとえ一個半個でも覚醒させると言う荒治療を試みている。これ以後少なからぬ弟子がイエスの下を去り、二度と戻ることはなかったとヨハネ福音書は述べているが、ペテロは「私たちはあたが聖なる独尊者であられることを信じ、知っております」(ヨハネ6:12)と言う極めてグノーシス的、したがってまた菩提樹の下で『天上天下唯我独尊、草木国土悉皆成仏』と証見した仏の境地に通じる証しを行っており、イエスの試みは奏功したようだ。永遠の命を手に入れるとは、天地と同根万物と我と一体になることに他ならない。ちなみに、マルコ福音書では、悪霊に憑かれた男が同じ証しをしている(マルコ1:24)。ついでに言えば、別の僧と睦州和尚の『祖師西来意』に関する以下の商量は『徴問』に分類されている。「睦州和尚にお伺いする。祖師西来意とは一体何のことですか」。州いわく、「お前が言え」。僧、無言。州すなわち打つ。
新約聖書の4福音書が参考にしたとされるQ資料に擬せられる《トマスの福音書》は、イエスと弟子との問答形式になっており、トマスがインドに伝えた聖霊のバプテスマが、『汾陽十八問』の予型と言えそうだ。

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
聖トマス・キリスト教会
聖トマス・キリスト教会は、西暦1世紀の使徒トマスの布教活動に起源を発するインドのケララ州に存在する古典的教会組織。彼らはまた『ナザレのイエス』の信奉者『ナザラニス』として知られる。ケララ州聖トマス教会は現在も『ナザラニ』と言う表現を用いている。
彼らはまたシリア式礼拝儀礼を用いていることから『シリアン・クリスチャン』と称される。礼拝儀式用語はアラム原語に由来し、その後シリア語に転化した。彼らはまた、マラバルもしくはマランカラと呼ばれるケララ州を拠点にし、マラヤーラム語を用いていることから、マラバル/マランカラ・マー・トマス・ナザラニスとも呼ばれる。(wikipedia)

<1>マー・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kodungaloor, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。









<2>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Palayur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。








<3>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kottakayal, North Paravur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。










<4>セント・メアリー正教会(Niranam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。








<5>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kokkamangalam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。









<6>セント・メアリー正教会(Thiruvithamcode Arappally = Royal Church)
西暦63年に聖トマスにより創設されたとされる。『Arapalli』は『Arachan Palli』の短縮形で王立教会の意。









<7>セント・メアリー・シロ・マラバル・カトリック教会(Kudamaloor)
西暦1125年にチェンパカセリ王により創設された。









《趙州録》
僧、趙州に問う「如何なるか是れ祖師西来意」。
趙州曰く「庭前の柏樹子」。
僧曰く「境をもって人に示すことなかれ」。
趙州曰く「吾、境をもって人に示さず」。
僧曰く「如何なるか是れ祖師西来意」。
趙州曰く「庭前の柏樹子」。
《無門関》二十一則:雲門乾屎橛
雲門因みに僧問う、「如何なるか是れ佛。」
門云く、「乾屎橛。」
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