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処女降誕

イエスの苦悩
父系の血筋を重んじるユダヤ社会においてヨセフを父と呼ぶことを許されなかったイエスの悩みは想像に余りある。モーセの掟は、アブラハムの子孫に対するものであり、父親が誰か分からぬものは救いの対象に含まれない。十二歳の頃から大衆に教えを説くほど熱心な 宗教生活をおくっていたイエスは、自分の出生の秘密を知った時、もだえ苦しんだものと思われる。
洗礼者ヨハネとの出会い
しかし洗礼者ヨハネに巡り会ったことにより、イエスはその苦しみから解放されたようだ。ヨハネは懺悔と実践を重視し、アブラハムの血統など問題にしなかった。ヨルダン川で洗礼を受けるものに対して、ヨハネは、「まむしの子らよ、迫り来る神の怒りから、のがれられると、だれが教えたのか。だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父はアブラハムだなどと、思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を生じさせられる。斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」(ルカ3:7-9)と説いたと言われる。

一致せぬ系図
イエスの出生の秘密は、弟子達も悩ませたようだ。そのことはマタイ伝冒頭のアブラハムからヨセフに至る系譜やルカ伝のイエスの誕生に関する挿話、そしてヨハネ伝の「初めに言葉ありき」の記述からも窺える。マタイ伝もルカ伝もヨセフがダビデの血統であることを示す系図を掲げているが、系図の内容は一致していない。
マリアが聖霊を受け受胎したと言う処女懐胎の信仰は、旧約聖書「イザヤ書」の「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はイマヌエルと呼ばれるであろう」と言う記述に基づくもので、ヘブライ語では単に『乙女』と記されていたものが、ギリシャ語に翻訳された際、『処女』に改められたのが起源らしい。マタイ伝とルカ伝は何れもこの記述を引用しているが、イエスの生誕に関する挿話の内容は異なっている。
しかしこれらの系譜や逸話はマタイ、ルカ、ヨハネの信仰の中に実在するイエスには欠かせぬもので、弟子達の信仰に嘘偽りはない。弟子達はイエスとともに過ごし、イエスの十字架を目撃し、その後の迫害を経験する中でこうした信仰を培ったものと見られる。

ダビデの血筋を否定し『人の子』と称したイエスの真意
イエス自身はダビデの血筋であることを否定(マタイ22:43-45)しており、自分のことを好んで「人の子」と呼んでいる。この「人の子」と言う言葉は、旧約「ダニエル書」が出典とされる。
ダニエル書7章13-14節には以下のように記されている。「人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとへ進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄の国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」
本来無一物、何れのところにか塵埃を惹かん
イエスは、「徴税人の子であろうが、売春婦の子であろうが、天命(聖霊)を得てこの世に生まれた神の一人子であることに変わりなく、等しく創世以来そのもののために準備された王国を受け継ぐことができる」ことを身を以て示すために『人の子』と言う言葉を用いたものと見られる。『一人子』とは『かけがえがない』と言う意味で、1人でも大勢でもかまわない。この観点からすればまさしく「本来無一物、何れのところにか塵埃を惹かん」で、売春婦の子でも盗賊の子でも処女降誕である。
宿業と贖罪
しかしその一方で、人は皆、父祖伝来の宿業を負うており、汚れのない人間など存在しない。原罪は決してアダムとイブの時代にたった一度犯された訳ではなく、それ以来ずっと繰り返されて来た。先祖伝来の罪は、自分一人では足りず、子々孫々にわたって償わねばならない。とすれば人生は贖罪の連続で未来永劫、天国におもむくことなどできそうにない。たとえ天国におもむくことができても、地上で犯した罪の報いから逃れることは依然としてできない。イエスは「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ18:18)と説いている。
しかしイエスは弟子達に「だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。なんでも祈り求める時は、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」(マルコ11:23-24)と説き、「からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もない」(マタイ17:20)とも説いている。
一以て之を貫く
イエスはここで「救いはひたすら主の道を直くする実践そのものの中に存在する。喩えそれが未来永劫終わりのない道でも、『一以て之を貫く』覚悟をしたなら、その時点で果報を手に入れることができる」と説かれたのだろう。重要なことは『ここのところ(之)』をしっかり捕まえておくことである。(回光庵返照居士:2006/01/31)

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
礼記/中庸
天の命これを性という。性にしたがうこれを道という。道を修めるこれを教えという。
論語
子曰く、参や吾が道は一以て之を貫く。曽子曰く、唯い。子出ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曽子曰く、夫子の道は忠恕のみ。
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