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書評:聖霊のバプテスマ(末後の句)

「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのであり、私が命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨て、またそれを受ける権能(authority)がある。これはわたしの父から授かった定め(command)である(ヨハネ10:17-18)」
イエスの権能
ユダヤ暦7月の仮庵の祭りにエルサレムにのぼり、神殿でユダヤ人にアブラハムの子孫などと言う誇りを捨てない限り、聖霊のバプテスマ(奪命の神符)を受け、永遠の命を手に入れることはできないことを説き明かしたイエスは、その後もエルサレムにとどまり、生まれつきの盲人を癒やす奇跡を実演するとともに、「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのであり、私が命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨て、またそれを受ける権能(authority)がある。これはわたしの父から授かった定め(command)である(ヨハネ10:17-18)」と説き、十字架にかかる決意を重ねて表明した。

ヘブライストの救世主
すると一群のユダヤ人が、ハヌカの祭りに神殿を訪れたイエスをソロモンの廊で取り囲み、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい(ヨハネ10:24)」と詰め寄った。これらのユダヤ人たちは、セレウコス朝シリアの支配に反旗を翻したモディンの祭司マタティアのような救世主をイエスに期待したものと見られる。
ユダヤ暦9月25日から翌月にかけて8日間祝われるハヌカ(きよめ)の祭りは、紀元前164年にマカバイ戦争に勝利したユダヤ人が、エルサレムを奪還し、ヘレニズム化された神殿を清めたことを記念する祭りである。
地中海沿岸地域のヘレニスト(ギリシア語を共通語とする海外在住ユダヤ教徒)の中から生じた教会運動の先頭に立つ決意をしたイエスは、こうしたユダヤ人の要求に対し、「もう話したではないか、しかしあなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである(ヨハネ10:25-26)」とすげなく突き放した。
激怒したユダヤ人が石で打とうとすると、イエスは、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」とただした。ユダヤ人が、「あなたはただの人間に過ぎないのに、自分は神だと言い、神を冒涜したからだ」と答えると、イエスは「律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからといって、どうして『あなたがたは神を汚す者だ』と言うのか。わたしのわざを信じるものは、父がわたしにおり、わたしが父におることを悟るであろう」と言い捨て神殿を後にした。(ヨハネ10:32-39)

末後の句
どうやら、イエスは、過ぎ越しの祭りに自分が十字架にかかるまでは、たとえ老婆心をもって説き聞かせても、これらのユダヤ人は、自分の末後の句を理解することはできないと判断したようだ。
『末後の句』とは、大死一番し、絶後に蘇ることを得た者、スピリチュアル・リバースを体験した者が発する言葉であり、ヨハネ福音書は、「人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)が、地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できず(ヨハネ3:32)、地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知するほかない(ヨハネ3:33)」と説いている。つまり、『末後の句』は聖霊のバプテスマの実体である。

徳山托鉢
中国の唐代に学人を棒で叩いて鍛え、多くの法嗣(はっす)を輩出したことで知られる徳山宣鑑(とくざん せんがん:780-865)禅師が、ある日、自分の食器を抱えて食堂に行くと、炊事当番の雪峰義存(せっぽう ぎぞん:822-908)禅師が、「ご老体、まだ鐘も鳴らぬのに、鉢を抱えて何処へお出でか」とただした。すると徳山は、だまってすごすごと方丈に引き返した。
生真面目で努力家の雪峰は、この徳山の応対ぶりを不審に思い、兄弟弟子の巌頭全豁(がんとう ぜんかつ:828-887)禅師に尋ねた。雪峰とは対照的に人を食った天才肌の巌頭は「おや、そんな事が有ったかい。大狐(徳山)も子狐(雪峰)もまだ末後の句がわかっておらんな」と返事した。これを聞いてますます疑念を深めた雪峰は、事も有ろうに巌頭のコメントをそのまま徳山に話したようだ。
そこで徳山は、巌頭を方丈に呼び寄せ、「お前、わしがまだ末後の句がわかっていないなどと、雪峰に入れ知恵したと言うが本当か」とただした。巌頭が真意を打ち明けると、徳山は、「おう、そういうことか」と納得したと言う。
翌日、講座台に上った徳山は、果たして尋常ならざる説法を行った。巌頭は、すかさず「お見事!師匠の末後の句は実にあっぱれだ。今後、もはや誰もこの老人を侮ることはなかろう」と喝采したと言う。(無門関第十三則)

聲前の一句千聖不伝
元朝時代の天目山中峰明本(てんもくざん ちゅうほう みょうほん:1263-1323)禅師は、「坐脱立亡(ざだつりゅうぼう:坐ったまま肉身を解脱し、立ったまま寂滅する)をもって、悟りの究極の表現であり、『末後の句だ』などと説く者は、西天九十六外道の類いに他ならない」と戒めている。明本禅師によると、「古人の語黙動静は、学人を導く臨機応変の方便に過ぎず、絶対不変の第一義諦ではない」と言う。
諸行無常のこの世において、一旦、発せられた言葉、あるいは行為は、もはや絶対ではなく、第一義諦ではあり得ない。徳山の棒、臨済の喝も臨機応変の方便に過ぎず、『末後の句』など、初めから存在しない。しかし、『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知することができる(ヨハネ3:33)』。千聖不伝の聲前の一句は、自ら覚知する外ないようだ。

復活のリハーサル
神殿を後にしたイエスは、そのままヨルダン川の対岸にわたり、洗礼者ヨハネの弟子と合流した。イエスは、しばらくこの地、おそらくペラ州アイノンにとどまり、ベタニアにおける復活のリハーサルの準備が整うのを待った。マルタ・マリア姉妹からラザロ危篤の知らせを受けた後、わざと出発を数日遅らせ、ラザロの葬儀の席に現れたイエスは、会葬者の面前で、ラザロを墓から蘇らせた。この噂は、会葬者らによりイスラエル全土に伝えられた。これを受けて、最高評議会を招集した大祭司カイアファは、イエスを救世主として十字架にかけることを提案(ヨハネ11:49-52)。イエスは、一旦、エフライムに退いた(ヨハネ11:49-54)。過ぎ越しの祭りの6日前に再びベタニアに赴き、マリアから香油の洗礼を受けたイエスは、翌日ロバに乗り、大衆を率いて、エルサレムに入城した。(ヨハネ12:12-15)<以下次号>

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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