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自然法爾(じねんほうに)

霊性的再生
ニコデモと言うファリサイ人の指導者がある夜、イエスの下を訪れ教えを請うた。イエスは言われた「誰にしろ生まれ変わることがない限り、神の国など見ることはできない。」ニコデモは答えた「もう一度母親の子宮に戻って、生まれ変わることなどできません。」イエスは言われた「水と聖霊から生まれたもののみが、神の国に入ることができる。肉から生まれるものは肉でしかなく、霊から生まれるものは霊である。風は思いのままに吹き、人はその音を聞くことができても、どこからそれが来てどこに向かうのか知ることはできない。霊から生まれるものとは、そう言うものである」と。(ヨハネ伝第3章1-8節)
瓦を磨いても鏡にならないように、衆生が如何に修行しても仏になることはできない(禅家が僧堂において学人を激励する常套語)。この世に生を得たもの、あるいは無生物も皆業を背負っており、業を離れて猫が犬になり、犬が人になる ことができないように、煩悩具足の衆生も仏になることはできない。肉から生まれたものは肉でしかないのである。

荒野であげられた蛇こそ自分の役割
イエスはさらに続けて、「天から来たものだけが、天にのぼることができる。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは人の子を信じるものが永遠の生を得るためである。神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。神が御子を使わされたのは、この世を裁くためではなく、この世が救われるためである」と説かれた。(ヨハネ伝第3章13-17節)
絶対他力の究極の果実
日本近代の哲学者、田辺元氏(1885-1962)によると、阿弥陀の慈悲は他力の発現、自然法爾であり、阿弥陀が衆生に慈悲を施す訳ではない。他力は人格ではない。にも関わらず信仰の鍵は阿弥陀に全てを任せることにある。お任せこそが衆生による絶対他力の究極的媒介の果実であり、阿弥陀の慈悲は衆生の行信を通じて始めて実現すると言う。
イエスの協力者

イエスはこの時、人類を救済する神の意思(他力)を媒介するため、自ら十字架にかかる覚悟をニコデモに告白されたものと見られる。イエスが捕縛された際、弟子達はイエスを見捨てて逃げ去ったが、ニコデモは、イエスが十字架に架かった後、アリマタヤの金持ちヨセフとともに、イエスの遺体を引き取り、かねて岩山を掘って準備しておいた墓穴にイエスを葬ったとされる。(マタイ伝27章57-60節/ヨハネ伝19章38-42節)
興味深いことはイエスが十字架にかかる覚悟を語った時、ユダを除く12使徒らはイエスの教えを理解せず、挙って反対した。しかしファリサイ派やサドカイ派等、ユダヤ社会の支配層にはイエスの計画に対する少なからぬ理解者がいたようだ。イエスがエルサレムの神殿で商いするものたちを縄の鞭を振るって追い出した際、旧約の記述にしたがって二頭のロバを用意し、多くの子供を動員、道に棕櫚の葉を敷き詰め、ホザナの大合唱を行わせたのは、エルサレム在住のこうした協力者だったものと見られる。
福音書とともにキリスト教徒に重視される使徒行伝にも、イエスの死後間もないキリスト教団に多くのファリサイ派やサドカイ派が含まれていたことが記されており、イエスの信者が決して少壮の12使徒やガリラヤ出身者にとどまらず、重層構造を成していいたことが窺える。ちなみにパウロもファリサイ派出身者であり、その師匠のガマリエルはイエスの死後捕縛された使徒らを裁きの場で擁護している。

しかし福音書の著者らは、最も重要な協力者と見られる二頭のロバを用意してくれた者や、最後の晩餐の会場を提供してくれたものの名を何故か明らかにしていない。この点はイエスに最初に帰依したヨハネ門下の2人の弟子の1人の名が記されていないことと共通している。これら2人は洗礼者ヨハネが『このものは十字架に掛けられる運命を負うた神の子羊だ』と言う証言を聞いて直ちにイエスに帰依した。洗礼者ヨハネはその際恐らく2人にイエスがその使命を果たすのを助けるよう指示したものと思われる。2人の内の1人アンデレの名が明記され、その後もたびたび聖書に登場するにも関わらず、ヨハネの福音書の著者はもう1人の弟子の名をあたかも無視したかのように見える。
他力と自力の接点
イエスは神の意思に従い、神の計画を成就するために全身全霊を傾ける中に救いがあることを説き、自ら実践した。他力本願の念仏教徒にしろ、自力作善の禅僧も究極するところはこの一点と見られる。日本曹洞宗の開祖道元も正法眼蔵の中でこの点を「自己をはこびて、万法を修証するを、迷いとす。万法すすみて、自己を修証するは、さとりなり」と説いている。
地獄の門

しかし釈迦にしろキリストにしろ、神の意思あるいは天命を見誤れば地獄に堕ちる他ない。イエスは「私はこの岩の上に自分の教会を建てる。自分の前にあるものが譬え地獄の門であっても、自分はそのことを実行する」(マタイ伝16章18節)と述べている。イエスはここで「自分は神の子としての使命を実行するが、この世に肉体をもって生まれた自分は人の子としての限界から間違いを犯すことは避けられない。しかし内なる聖霊に照らして信じたことを実行するだけであり、もし誤りがあれば地獄の劫火も甘受する」と決意を語られたものと見られる。
しかし、そのイエスでさえ、ゲッセマネにおいて血の汗と涙を流して苦悩し、「父よ、できることなら、この杯をわたしから取り去ってください。されど、みこころのままに」と訴え、十字架上において「主は、何故私をお見捨てになるのか」と絶叫した言う。(回光庵返照居士:2006/12/29)

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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