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India Front Line Report
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常懐悲感
天地開闢以前、日本、中国、韓国の本来の面目、愛国とは何か
五祖の衣鉢を取り返すため追いかけてきた明上座は大ゆ嶺で終に六祖恵能禅師に追いつき、岩の上に置かれた衣鉢を取ろうとした。し かしビクともしないため、「自分は法のために来たのであり、衣のために来たのではない。我がために法要を示せ」とかえって教えを請うた。そこで六祖は、「父母未生以前、正恁麼の時、那こかこれ、明上座本来の面目」と問た。明上座はこれを聞いて言下に大悟したと言う。
現世においては、譬え仏教界においても襲名争いは存在するようだ。とすれば兄弟姉妹が遺産を争い、隣国同士が領土紛争を起こすのも致し方ないことかも知れない。靖国の争点が過去の負債の清算にあるとするなら、尖閣や竹島問題には現在そして将来にわたる経済権益が絡むため一層複雑だが、もし六祖に一転語を求めるなら「天地開闢以前、日本も中国も韓国もない、正にその時、日本人、中国人、韓国人の本来の面目とは何か、愛国とは何か」と問われることだろう。
般若即非
金剛経の中で白仏(弥勒)は須菩提に「およそ形のあるものは空しいが、あらゆる形のあるものを形がないものと見ることができるなら、如来を見ることができる」と説かれている。また「真の智恵は真の智恵ではないから真の智恵と言い、世界は世界でないから世界と言う」とも述べている。いわゆる『般若即非の論理(AがAであるのはAが非Aであるから)』である。
この世に存在するもの、形あるものは時々刻々変化しており、目の前の形に捕らわれるなら本質を見失うが、固定観念から抜け出せば本質が見えてくると言うことだろうか。
天地開闢に遡るまでもなく、この世に存在するものはいずれ滅びる。日本も中国も韓国も例外ではない。その実、自分も世界も時々刻々滅び生まれ変わっているのである。
天地は滅びても言葉は不滅
イエスは「天も地も滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(マタイ24:35-36)「そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう」と語っている(マタイ24:40-41)。終末が何時訪れるかは誰にも分からない。今日かもしれず、明日かも知れないが、常に目を覚まし、本来の面目さえしっかり掴んでいれば恐れることはないと励まされたものと思う。
ヨハネの投獄
師と仰ぐヨハネが投獄されたのを見てカペナウムに退いたイエスはガリラヤ地方で布教を開始した。この時イエスは「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ11:12)と言う危機感を抱き「神の玉座(天)も、神の足台(地)も滅びる終末が間近に迫っている。ヨハネが捕らえられた以上、誰かが代わって主の道を直くせねばならない」と考えたものと見られる。けれども自ら十字架につくことまでは考えていなかったようだ。
しかし獄中のヨハネが使者を派遣し「あなたはメシアなのか、それとも、ほかにだれかを待つべきなのか」(マタイ11:3)と問うたことから、メシアとして十字架にかかる決意をしたようだ。ヨハネは自分の死が近いことを知り、イエスに最後の啓示を与えたものと見られる。ヨハネはその直後にヘロデ王により殺害されている。
メシアの道
ヨハネの死が伝えられた後、イエスがエルサレムに赴き、十字架にかけられる決意を明かすと、弟子のペテロは「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と諫めたが、イエスは「サタンよ退け。おまえは神のことを思わないで、人のことを思っている」と一喝し、他の弟子達に向かって「わたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従え」と励ましている(マタイ16:21-24)。
ヨハネの死を目の当たりにしてメシアとしての道を歩む決意をしたイエスは、自分が十字架にかかるなら、弟子達もまたメシアとしての道を歩むものと信じたようだ。イエスは「一粒の麦地に落ちて死なずば、一粒にてありなん。もし死なば、多くの実を結ぶべし」(John 12:24)とも述べている。
究極の癒し
法華経如来寿量品には、父親の訃報に直面した諸子が悲を抱き、終に真の悟りに至ると言う『常懐悲感、心遂醒悟』の譬えが説かれているが、イエスが十字架にかかったのは、弟子やイスラエルの人々を悟らせる単なる方便ではなかった。イエスは『自らを犠牲にすることこそが、究極の救い、究極の癒し』と言う信念を実践したものと見られる。
ユダの犠牲
米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」が最近公開した「ユダの福音書」写本によれば、イエスは12使徒の1人ユダに対して「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」と説き、旧約の預言に従ってメシアを売り渡す役割をユダに委ねたと言う。
イエスがユダの地で説教していた時、一人の青年が「永遠の命を得るにはどうしたらいいか」と質問した。イエスが「殺す無かれ、姦淫するなかれ、偽証するなかれ、父母を敬え、自分を愛するように隣人を愛せよ」と説くと、その青年は「それらの戒めは全て守っています。他に何が必要ですか」と重ねて質問した。するとイエスは「もし完全を望むなら、全ての財産を貧しいものに施し、私に従え」と答えた。『私に従え』とは、『十字架を負うて、私の後に続け』と言うことと見られるが、多くの財産を持っていた青年はそれを聞いてがっかりして立ち去ったと言う。(マタイ19:16-22)
イエスを超えたパウロ
パウロはコロサイ人への手紙の中で「実践とは古い自分を脱ぎ捨て創造主の形に倣って新しい自分を醸成することであり、そこにはギリシャ人もユダヤ人も、割礼も、無割礼もなく、キリストが全てである」と説いている。イエスは終生イスラエルとその民のためのみに教えを説いたが、パウロはイエスの限界を乗り越えたようだ。『般若即非』の論理はここにも生きている。
日中韓三国の国民が、日本人も中国人も韓国人もない本来無一物の心境に到達した時、竹島問題も尖閣紛争も解決するのかも知れない。(回光庵返照居士:2006/04/30)
【参照】
金剛経如理実見分第五(試訳)
「須菩提、意に於て何と云う。身相を以て如来を見るべしや。」
「不なり。釈尊、身相を以て如来を見るべからず。如来が『身相は即ち身相に非ず』と説くところ何の故ありや。」
仏、須菩提に告げたまわく「凡そ有らゆる相は、皆是れ虚妄なり、若し諸相は相に非ざることを見れば、即ち如来を見たてまつる。」
金剛経如法受持分第十三(試訳)
その時、須菩提は白仏(弥勒)に問うた。「世尊、この経の名は何と言うのですか。どのように護持したら良いでしょう。」
白仏は須菩提に言われた。「金剛般若波羅蜜と言う。覚えておきなさい。仏は『般若波羅蜜(至極の智恵)は般若波羅蜜ではないからその名を般若波羅蜜と言う』と説かれている。須菩提、おまえどう思う。如来は何かお説きになったか。」
須菩提は白仏に言った。「世尊、如来は何も説いていません。」
「須菩提、では三千大千世界に一体どれほどの塵が存在すると思う。」
須菩提は言った。「数えきれません。世尊。」
「須菩提よ、これらの小さな塵を如来は小さな塵ではないから小さな塵と名付けた。如来はこの世界は世界ではないから世界と説かれた。須菩提、それでは32相を通じて如来を見ることができるとおもうか。」
「見ることはできません。世尊。32相から如来を見ることはできません。」
「須菩提よ。善男善女がガンジス川の砂の数ほどの身命を布施して得た功徳も、この経が説く四句偈の一句を護持する功徳に及ばない」
法華経如来受量品
是の時に諸の子、父背喪(はいそう)せりと聞き、心大いに憂悩(うのう)して、是の念を作さく、若し父在(ちちおわ)しなば、我等を慈愍(じみん)して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて、遠く他国に喪(そう)したまいぬ。自ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして復恃怙無(またじこな)し。常に悲感(ひかん)を懐(いだ)いて、心遂(こころついに)に醒悟(かくせい)しぬ。乃ち此の薬の色香味美を知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈(やまいみない)ゆ
コロサイ人への手紙3:9-11
互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。
イエスの十字架計画(1)
イエスの十字架計画(2)
イエスの十字架計画(3)
イエスの十字架計画(4)
イエスの十字架計画(5)
イエスの十字架計画(6)

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