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修証一如

贖罪・実践・救いは三位一体
イエスは『悔い改め』、『実践』、『救い』が一体であることを身をもって示し、弟子たちにも自分の歩んだ道を歩み続けるよう求めたが、弟子たちにはその道が何か理解できなかったようだ。いよいよ十字架につく決意をしたイエスは十二使徒の足を洗い終わった後「私はあなた方に範を示した。私がしたようにあなた方も行いなさい」と諭している。(John 13:15)
さらに最後の晩餐の席上、「私がどこへ行くのか、その道はあなたがたも分かっているだろう」と語られと、トマスは「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその場所がわかるでしょう」と答えた。
そこでイエスは彼らに言われた、「わたしが道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知ったなら、わたしの父をも知ったのである。しかし、今あなた方は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。」(John 14:4-10)

真理の御霊は汝の内に有り
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」(John 14:16-17)
ここでイエスは「道とは、自分の教えを実践するあなた方自身である。あなた方が実践を怠らないなら私は何時でもあなた方とともに居る」と激励したものと見られる。
身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし

中国唐朝の禅僧、五祖弘忍大師(602-675)は、ある日、自身の後を託する六祖を指名するため、弟子たちにその心境を偈(詩)にして、それぞれ南廊の壁に張り出すよう命じた。
上座の神秀(605-706)は直ちに「身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし。時時に払拭して塵埃をひかしむるなかれ」と大書した。
神秀の偈を見た弘忍大師は、他の弟子たちに、香を焚き、日夜朗読して、偈に従って修行するよう励したが、その一方で、神秀に「確かに良い偈だが、十分とは言えない、別にもう1つ作ってみよ」と命じた。
本来無一物いずれのところにか塵埃をひかん
ところが神秀がまだ2番目の偈を完成しないうちに、米つきをしていた新参の恵能(638-713)が、文盲にも関わらず「菩提もと樹にあらず、明鏡また台なし。本来無一物いずれのところにか塵埃をひかん」と読み、弟子の1人に頼んで、神秀の偈の隣りに書き添えてもらった。
弘忍大師は、その偈を見て内心大いに感心したものの、「真の悟道にはほど遠い」と述べ恵能の偈をはぎ取ってしまった。しかし弘忍大師は、その日から恵能に特別レッスンを施し、金剛経一巻を説き終わると、衣鉢を授け、他の弟子たちの嫉みを受けぬよう密かに南方に逐電させた。
南頓北漸は表裏一体
この結果、弘忍大師の死後、中国北部には神秀の流れをくみ漸進的修行を重んじる北漸派が興隆、南部には六祖恵能の流れをくみ頓悟を重んじる南頓派が隆盛を極めることになる。
神秀と恵能の偈は表裏一体であり、弘忍大師は最も賢明な措置をとったものと見られる。悟りに南頓北漸の違いがある訳ではなく、悟りを開く時は常に頓悟である。また悟ったからと言って煩悩から解放され修行や実践の必要がなくなる訳ではなく、依然として時々に塵埃を払拭する努力を欠かすことはできない。修行や実践の伴わない悟りなど存在しないからである。

修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし
道元禅師は、正法眼蔵弁道話の中で「この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし」と述べ、修証(修行と悟り)は一如(一等)と説かれている。
羅什三蔵の三千人の弟子の中で『解空第一』と称された僧肇は『肇論--涅槃無名論第四』の中で、「玄道は妙悟にあり。妙悟は即真にあり。即真なれば即ち有無斉しく観ゆ。斉しく観れば即ち彼れと己れと二なし。ゆえに天地と我と同根。万物と我と一体なり。(真の道は悟りそのものの中に存在する。悟りとは真理に直結し、真理と一体になることである。絶対の真理と一体になるなら相対的な有無は最早存在しない。有無が存在しないなら自他は一つになり、天地と我と同根、万物と我と一体となる。)」と説いている。
即真の懺悔
もし靖国神社に詣でる日本人の懺悔が即真であるなら、何にはばかることなく正殿に参拝し、記帳すればよく、そうすることにためらいを感じるとすれば、最早即真とは言えない。近隣諸国の疑念を招いても仕方ないと言えそうだ。(回光庵返照居士:2005/12/27)

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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