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書評:聖霊のバプテスマ(唯仏与仏)

一匹の妖怪が世界を徘徊している—新孤立主義と言う妖怪が。放下着(ほっとけ)。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。
新孤立主義の妖怪
第二次大戦が終了し、国際連合が発足したことによりやっと平和の時代が訪れたと思ったのもつかの間、世界は米ソの冷戦時代に突入し、中東戦争や朝鮮戦争、ベトナム戦争を含む地域紛争が世界各地で勃発した。その後経済の国際化に伴い、社会主義体制と資本主義体制の差が縮まると、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦時代も終結した。しかし今や世界には、新孤立主義と言う新たな亡霊が徘徊している。
神の王国の現成

ヨハネの黙示録は、神の王国は、決してそう簡単に実現するものではなく、平和が到来しても、千年後には、再び悪霊が解き放たれ、地獄絵が再現するだろうと預言している。とは言え最終的には、恒久的な神の王国が実現されるため、この新たな啓示を信じ、正しい信仰を持ち続けたものは、たとえ殉教しても、終わりの日に、永遠の命を得て復活できる。だから「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである(黙示録22:11-13)」と、励ましている。
それでは、直面するこの激動の時代を乗り越えるために、『聖霊のバプテスマ』を受け、正しい信仰を持ち続けるにはどうしたよいのだろうか。
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所の二階で、十二使徒らと最後の晩餐を共にしたイエスは、十字架に掛かる最終方針を大祭司に伝える使者としてイスカリオテのユダを送り出した後、残りの弟子達に次のように解き明かしている。
「私はあなた方の下に平安を遺します。私の平安をあなた方に与えましょう。私はこの世が与えるような方法では与えません。ですから心配したり、恐れることはありません。(ヨハネ14:27)」『私はこの世が与えるような方法では与えません』と言う言葉に、『聖霊のバプテスマ』がどのようなものかを解く鍵が含まれている。
イエスの平安

それでは、どのように与えるのか?イエスは次のように説いている。「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするでしょう(ヨハネ15:26)。真理の御霊が訪れる時、御霊はあなた方を全ての真理に導いてくれるでしょう。御霊は私のものをとって、あなた方に示します。父に属するものは全て、私のものだからです。ですから『御霊は私のものをとって、あなた方に示す』と言ったのです。(ヨハネ16:13-15)」なぜなら「初めに言葉ありき(ヨハネ1:1)」で、太初においては、万物は言葉(ロゴス)に凝縮されており、父も子も一体であったのだから。
ヨハネ福音書の著者がここで、参照したQ資料の原文は、トマス福音書88節の以下の記述と見られる。「イエスが言った、『御使いたちと予言者たちがあなたがたのもとに来る。そしてかれらは、あなたがたに、あなたがたに属するものを与えるであろう。そしてあなたがたもまた彼らに、あなたがたの手中にあるものを与える。そして、あなたがたは、自らに、どの日に、彼らが来て、彼らのものを受けるかを言う(トマス88)。』」
つまり真理の御霊があなた方に施すバプテスマは、本来あなた方のものをあなた方に与えるのであり、バプテスマをいつ受けるかもあなた方自身にかかっていると言うのである。聖霊のバプテスマとは、太初において神と一体であった自己に目覚めることに他ならないのだから。
ヨハネ福音書はまた次のように述べている。「イエスは決してご自身を彼らに委ねなかった。なぜならイエスは彼らを知っていたからである。イエスは人が人について証しをすることを必要としなかった。なぜならイエスは人のうちにあるものを知っていたからである(ヨハネ2:24-25)。」
つまり、この世における人間は、煩悩と罪にまみれているものの、人は皆、天地が開闢する以前から真理の御霊を具えている。イエスは、人から証しを受けるまでもなく、そのことを知っていた。したがってご自身、すなわち真理の御霊を、委ねる必要などないのである。
イエスは、「あなたがたも私について証しをせねばならない、なぜならあなたがたは最初(天地開闢以前)からわたしと一緒にいたのだから(ヨハネ15:27)」とも語っている。
正直捨方便但説無上道

最後の晩餐を済ませたイエスは、オリーブ園に向かう途中、弟子達に「わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になる。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。(ヨハネ16:7)その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。 わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである(ヨハネ16:23-28)」と語った。
つまり、聖霊のバプテスマを受けた者は、最早肉身のイエスを介する必要なく、イエスの名の下に、換言すればイエスになり切って、直接神と対話できると言うのである。
イエスは、キドロンの谷の反対側のオリーブ園でユダが率いる神殿警備兵により捕縛される手はずになっていた。最後の晩餐の席を立ったユダは、隣接する大祭司カイアファの屋敷に赴いたものと見られるが、1ヶ月半後に地中海沿岸各地の異邦人ユダヤ教徒の代表も参加するエルサレム教会が発足する会場の予定地では、さすがに、イエスを捕縛する訳にはいかなかったものと見られる。
ヨハネ福音書の弁証法

ヨハネ福音書は、全編を通じて、イエスが創始した『聖霊のバプテスマ』の神髄を、正・反・合の弁証法の論理に基づいて解き明かしている。
【テーゼ】人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)。
【アンチ・テーゼ】しかし、地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)。
唯仏与仏

ギリシア語を共通語とする地中海沿岸各地の異邦人ユダヤ教徒の間に教会運動が発生した頃、北インドでは大乗仏教が興隆した。釈迦は、大乗仏教の主要経典の一つ、法華経方便品第二において、十大弟子の一人舎利仏(しゃりほつ)に、ヨハネ福音書が説く『聖霊のバプテスマ』の概念と全く同じ道理を次のように述べている。
舎利仏(しゃりほつ)よ、この世の諸現象を貫通する真理、つまり実相は、仏のみが理解でき、凡夫には到底理解できない。ただ仏が仏に与え、究尽すべきものである。だから私は方便随喜の説法により導いて来たのである。舎利仏よ、凡夫に対して説明することなど無駄である。しかし自分は今、菩薩の中にあって、正直に方便を捨て、無上道を説こう。たとえ鈍根小智(どんこんしょうち)の人や、著相傲慢(じゃくそうごうまん)の者は、信じられないにしろ、菩薩はこの法を聞いて全ての疑いがはれ、千二百の羅漢はそろって成仏することができる。
菩提達磨は、その著『二入四行論』において「悟りに至る道は、『理入(壁観)』と『行入(日常の所作)』の二種に大別される。理入とは、教理に基づいて実相を悟ること。凡人も聖人も本質は同一だが、塵にまみれた凡人は実相を見ることができないに過ぎない。壁観(坐禅)して、自他、凡聖一如と照見し、動揺しないなら、寂然無為の境地に達することができ、これを理入と言う」と説いている。

戦前戦後を通じて活躍した昭和を代表する日本曹洞宗の師家、澤木興道老師は、「生死を仏道に変えるのが坐禅、『一超直入如来地』だ。坐禅は三界の法じゃない、仏祖の法だ。仏法は仏と仏の商量、仏と凡夫の商量じゃない。だから唯仏与仏乃能究尽(ゆいぶつよぶつないのうくじん)と言う。仏と仏が相思い、正身端座(しょうしんたんざ)する時、現成(げんじょう)するものだ」と説かれたと言う。
【参照】
法华经方便品第二
止(や)みなん舎利仏(しゃりほつ)、また説くべからず。所以(ゆえ)は者何(いかん)、仏が成就(じょうじゅ)せし所は、第一希有難解(だいいちけうなんかい)の法にして、唯(ただ)仏が仏に与えて諸法の実相を究め尽くせり。-略- 舎利弗、当(まさ)に知るべし、鈍根小智(どんこんしょうち)の人、著相憍慢(じゃくそうきょうまん)の者は、この法を信ずること能(あた)わず。今、我喜んで畏(おそれ)なし、諸(もろもろ)の菩薩の中に於(おい)て、正直(しょうじき)に方便(ほうべん)を捨て、ただ無上道(むじょうどう)を説く。菩薩はこの法を聞いて、疑網(ぎもう)皆すでに除く。千二百の羅漢(らかん)、悉(ことごと)くまた当(まさ)に作仏(さぶつ)すべし。
二入四行論
夫(そ)れ、道(どう)に入るは、途(みち)多けれど、要して之(これ)を言えば、二種を出(い)でず。一には是(こ)れ理入(りにゅう)、二には是れ行入(ぎょうにゅう)なり。
理入(りにゅう)とは、教(きょう)に籍(よ)りて宗(しゅう)を悟り、深く含生(がんしょう=人間/衆生)の凡聖同一真性(ぼんしょうどういつしんしょう)にして、但だ客塵(かくじん)に妄覆(もうふく)せられて、顕了(けんりょう)する能わざるのみなることを信ずるを謂う。若し妄を捨てて真に帰し壁観(へきかん)に凝住(ぎょうじゅう)して、自他凡聖等一(じたぼんしょうとういつ)にして、堅く住して移らず、更に文教に随(したが)わざれば、此(ここ)に即ち理に冥府(めいふ)して、分別有ること無く、寂然(じゃくねん)として無為(むい)なる、之(これ)を理入と名づく。

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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