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書評:聖霊のバプテスマ(アラム語ルーツIII)

 彼の弟子たちが彼に言った、「どの日に死人の安息が入り来たり、どの日に新しい世が来るのでしょう」。彼が彼らに言った、「あなた方が待っているものはすでに来た。しかし、あなた方はそれを知らない」。(トマス51)
日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、『安息』は『トマス福音書50節』の「もし彼らがあなた方に『あなた方の中にある父のしるしは何か』と言うならば、彼らに言いなさい、『それは運動であり、安息である』と。」を受けており、『あなた方が待っているもの』とは『新しい世』ではなく、『安息』である。そしてそれが『すでに来た』と言うのは『御国』つまり『本来的自己の回復は、自己を知った者の中にすでに実現されている』と言うことである。にも関わらず『あなた方はそれを知らない」とイエスは弟子たちを批判している。
 彼の弟子たちが彼に言った、「二十四人の預言者たちがイスラエルで語りました。そして彼らは皆あなたにあって語りました」。彼が彼らに言った、「あなた方はあなた方の面前で生きている者を捨て去り、死人たちを語った」。(トマス52)
『二十四人の預言者たち』が『皆あなたにあって語りました』とは、旧約聖書全二十四巻の著者たちが皆イエスについて語ったと言うマルキオン派や正統派教会の立場を代弁したものと言える。これに対してイエスは「生きている私自身の前で死人達について語るのか」と弟子達を叱責した。翠微無学(すいびむがく?-?)禅師に「如何なるかこれ諸仏の師」と問われ、「全き生を得ながら諸仏などと言うボロ雑巾をもちだすな」と叱責した丹霞天然(たんかてんねん739-824)禅師を彷彿とさせる。
東方キリスト教会

社会人類学者杉本良男氏によると、シリア教会は、狭義にはコプト、エチオピア、アルメニアなどの諸教会とともにいわゆる単性説(monophysitism)派のオリエンタル・オーソドクス(Oriental Orthodox)にふくまれるヤコブ派教会(Jacobite)を指している。しかし、広義にはシリア語典礼を行なう教会を意味していて、西シリア典礼のヤコブ派、東シリア典礼のネストリオス派(東シリア教会=アッシリア教会)、それに現在のインドのマランカル教会(西)、マラバール教会(東)などをふくんでいる。オリエンタル・オーソドクスは、ネストリオス派とともに、東方諸教会(Eastern Churches)を構成し、さらにこの東方諸教会は東方正教会とともに東方キリスト教(Eastern Christianity)にふくまれる。そして、東方キリスト教は西方のカトリシズム、プロテスタンティズムなどと対峙している。
大秦景教流行中国碑

プロテスタント系聖書解説者の久保有政氏によれば、アッシリア東方教会(シリア教会)は後に中国に伝えられ、景教と称された。
イエズス会が17世紀に西安で発見した『大秦景教流行中国碑』には、西暦635年にオロペン(Alopen阿羅本:アブラハムの意)が21人の景教徒を率いて中国に赴き唐の太宗皇帝に拝謁、漢訳聖書を献上、中国における布教を正式に許可されたことが記されている。しかしこれは公式の記録で、それ以前から景教徒は中国で布教していたものと見られる。中央アジアのトルコ人やタタール人は一時景教に集団改宗した。2世紀の歴史家バールタイサンによると、西暦129-140年にはタタール人は全員キリスト教に改宗、アッシリアは世界最初のキリスト教国になった。
景教徒は聖書を広めるため、中央アジアのメルブに言語研究所を設け、モンゴル、ウイグル、アラビア、タガログ、ハングル文字の成立に貢献したと言う。
ちなみにアッシリアは、紀元前2400年頃、つまりノアの洪水の直後頃からすでに中国と交易しており、紀元前1200年頃、中国はアッシリアに使節を派遣した。前漢は紀元前139年に大月氏に張騫を派遣、紀元前101年にバルハシ湖周辺のフェルガナ(費爾干納)、烏孫、呼掲(コケイ)等の国を征服した。河南省東部の開封には紀元前231年に初めてユダヤ人が到来し、ユダヤ人コミュニティーが形成されていた。
ネストリウス派

久保氏によれば、コンスタンティノポリス総主教のネストリオス(386-451)は、マリアを「神の母」と呼ばず「キリストの母」と呼ぶことによって、キリストの人性を明確に示そうとし、アタナシウス派の三位一体説と対立した。とは言え三位一体を否定した訳ではなかった。しかし431年のエフェソス公会議で、ネストリオス派は異端とされた。
景教は5世紀に誕生したネストリオス派キリスト教と呼ばれるが、これは誤りで、景教徒は自らをネストリオス派キリスト教徒とは考えていない。彼等は自らをトマスを初代総主教とする東方教会に属するキリスト教徒と見なしており、三位一体も否定していないと言う。
八咫鏡の秘密

興味深いことに、厩戸皇子(うまやどのみこ)の異名を有する聖徳太子より以前に日本にユダヤ教が伝えられており、それを伝えたのは、どうやら高天原から降臨した天遜族自身だったらしい。天皇家は元々ユダヤ教を奉じていたが、後にキリスト教に改宗したと言う。
久保氏によると、明治時代、森有礼(もりありのり1847-1889)文部大臣は、「八咫鏡(やたのかがみ)の裏にヘブル語で『エヘイエ・アシェル・エヘイエ(我は在りて有る者、出3:14)』と書かれているのを見た」と語った。ちなみに八咫鏡は、『円周8咫(94.16cm)の鏡』の意で、三種の神器の一つ。
昭和27年頃、犬塚惟重(いぬづかこれしげ1890-1965)元海軍大佐を会長とする『日猶懇話会(日本ユダヤ懇話会)』が結成された。昭和28年1月25日の例会は港区のミハイル・コーガンと言うユダヤ人宅で開かれた。この例会には三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと1915-2016)殿下も臨席した。席上、東洋宣教会きよめ教会(とうようせんきょうかいきよめきょうかい)創始者の尾崎喬一牧師が、宮中の八咫鏡にまつわる話をした。すると三笠宮殿下が、「真相を調査してみよう」と語った。翌日、東京イブニングニュースは、『神鏡のヘブライ出所説を三笠宮氏が調査!』と報じた。三笠宮殿下は同紙に対して「自分で問題の鏡を見ることはできない。なぜならば今日でも、鏡と玉と剣の三種の神器は、皇居内の奥深い聖所から取り出すにはあまりに恐れ多いと考えられている。天皇すらも鏡を見たことがあるとは思われぬので、宮内庁の記述か、口述か、いずれかの報告を基礎にして、自分が調査書を作成することになろう...」と語った。しかしその後三笠宮殿下が調査結果を発表した言う話は伝えられていない。
高坂和導(こうさかわどう)氏著『超図解・竹内文書II』によると、神道家の矢野祐太朗氏は伊勢神宮に掛け合い極秘裏に八咫鏡を見せてもらい、裏面の模様を書き写した。
我は在りて有る者/ヤハウェの光
久保氏によると、この写しが本物なら中央の円内の文字は『エヘイエ・アシェル・エヘイエ(我は在りて有る者)』と言うヘブル語に似ている。もしエヘイエを2回読めば、『エヘイエ・アシェル・エヘイエ(我は在りて有る者)』になる。だが円内の7文字は『オール・ヤハウェ(ヤハウェの光)』とも読める。聖書には「私たちはあなた(ヤハウェ)の光(オール)の内に光りを見る(詩編36:9)」と記されている。八咫鏡の文字としては、『オール・ヤハウェ(ヤハウェの光)』はふさわしい。だからこそ天照大神が皇室の始祖とされる日本建国の神になったのだろう。詩編には「まことに神なる主は太陽である(詩84:11)」と述べられている。
三種の神器は複製

また円周辺の文字がギリシア文字なら、「これは大変たいせつなものである。八咫鏡の複製である」と言う意味になるが、そのためには、文字の写し間違いと脱字を想定せねばならないと言う。
一般に神社のご神体の鏡は、本物と複製と二つあり、通常祭られているのは複製の方で、祭祀が催される場合にのみ本物が聖所に安置されるようだ。源平の戦のおり、安徳天皇が壇ノ浦で侍女に抱かれ入水した際、三種の神器も大海の藻屑と消えたとすれば、現存する『八咫鏡』が複製の方だとしても不思議はない。しかし『平家物語』には三種の神器のうち、草薙の剣だけが見つからなかったと記述されている。
明治天皇の皇女仁(しのぶ)内親王はご子息の、小林隆利氏に「父(明治天皇)はこう言われた。私は天皇の権限で日本の歴史を調べたが、神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされた。そして後に原始キリスト教に集合された」と語ったと言う。小林氏は「天皇家では生後8日目の割礼が行われて来た。私自身も割礼をしている」と話した。明治天皇の孫の中丸薫氏も「天皇家では生後8日目の割礼が行われて来ました」と証言したと言う。
大和朝廷の起源

『大和民族はユダヤ人だった(The Biblical Hebrew Origin of the Japanese People)』の著者ヨセフ・アイデルバーグ(Joseph Eidelberg 1916-1985)と言うユダヤ人は、バルハシ湖付近に『ヤマトウ』と言う地名があり、『大和』の語源ではないかと述べている。久保氏によると、アラム語『ヤー・ウマト』は『ヤーウェの民』と言う意味になる。久保氏の知人が、骨董屋でユダヤの角笛ショーファー(Shofar)を購入しようとしたところ、ショーファーには長いものと短いもの2種類あり、長い方は元々古代イスラエル人の末裔の『ヤマトウ』人が使っていたものだと説明されたと言う。

ヨセフ・アイデルバーグ氏によると、日本の初代天皇、神武天皇のフル・ネーム『カム・ヤマト・イハレ・ヒコ・スメラ・ミコト』は、ヘブル・アラム語の『カム・ヤマト・イヴリ・ペコ・シュメロン・マクト』に由来し、カムは高尚な、ヤマトはヤハウェの民、イヴリはヘブル、ペコは創設者(初子/長氏)、シュメロンはサマリヤ、マクトは彼の王国の意で、『サマリヤ王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者』を意味すると言う。久保氏によると、アイデルバーグ氏はイハレをイヴリと解しているが、イハレはエフラ(イム)の訛りかも知れない。だとすれば、神武天皇の名は『サマリヤの王、ヤハウェのエフライム族の高尚な創設者』になる。(つまり、アブラハムから数えて第4代目の兄弟たちから奴隷として売り飛ばされて後エジプトの宰相になり飢饉に陥ったイスラエルの民を救ったヨセフの子エフライムと神武天皇は同一人物だったと言うことか?)
日本大学や国士舘大学で教鞭をとった神道家の藤沢親雄教授なども三種の神器のルーツは古代イスラエルと考えていた。
1965年福岡県糸島市有田で弥生時代後期から晩期のものと見られる墳丘墓が発見された。1988年から1999年にかけての調査で最終的に5つの墳丘墓が見つかり、1号墓からは直径46.5センチメートルの5面を含む、中国製と日本製の合計40面の銅鏡が出土された。調査に当たった考古学者の原田大六(はらだだいろく1917-1985)氏によると、直径46.5センチメートルは円周にすれば『八咫鏡』と同じであり、1号墓の埋葬者は玉依姫命(たまよりひめのみこと)すなわち大日孁貴(おおひるめのむち)ではないかと予想したと言う(Wikipedia)。玉依姫は、出雲神話の主人公大国主命(おおくにぬしのみこと)の妻。大日孁貴は天照大神の異名。つまり原田氏は、天照大神はもともと、出雲の巫女だった玉依姫と同一神と見ているようだ。
それはともかく三種の神器の八咫鏡は、中国製の銅鏡を模倣して日本で作成された可能性がある。仮にヘブル語やギリシア語が記されているとすれば、これらの言葉を理解するものが関わったと見られ、その時期は景教が日本に伝来した時期と一致しそうだ。明治天皇が仁内親王に「神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされたが、後に原始キリスト教に集合された」と語られたと言うことから、その時天皇家はユダヤ教から原始キリスト教に改宗した可能性がある。また『原始キリスト教』とは、『割礼』を含むモーセの律法に忠実なヤコブ派を指しているのではないだろうか。

なお、前述の1号墓の東南には直径70センチの縦穴12本が存在した。調査報告書は墓から見て東南の天孫降臨の地日向峠の方角に位置していることから、『太陽信仰』に関係する大柱跡ではないかとしており、原田氏は「殯宮(もがりのみや)関係の建築物の遺構と考えられる」と述べている。
ちなみに古代イスラエル人には、東に向かって礼拝する習慣があった。第一回コンスタンティノポリス公会議において、アリウス(250 or 256–336)派に反論し、『三位一体』の教義確立に貢献したとされるニュッサ司教グレゴリオス(335?-394?)は、「私たちは皆、東に向かって祈りを献げるが、神が東のエデンの園に備えられたと言う私たちの元の家がどこにあったかは誰も知らない」と述べており、この習慣はキリスト教に受け継がれたものの、4世紀の教父たちも何故東方に向かって祈りをささげるのか、理由を知らなかったようだ。ユダヤ人がエジプトに渡った際、同地で身につけた『太陽信仰』の名残かも知れない。『大秦景教流行中国碑』には、景教徒が『東方礼拝』を励行していたことが記されており、あるいは『太陽信仰』も天遜族により日本に伝えられた古代イスラエルあるいはエジプト起源の信仰だったのではなかろうか。
ヨナのしるし

≪マタイ福音書≫と≪ルカ福音書≫では『ベルゼベル論争』の直後に律法学者やパリサイ人から神の子としてのしるしを求められたイエスが「邪悪で不義な時代は、しるしを求めるが、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられない」と語り、預言者ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、自分も処刑の三日後に蘇ることを預言した。
新約4福音書の中で最初に編纂された≪マルコ福音書≫では、イエスは「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない(マルコ8:12)」とキッパリ否定している。したがって≪マタイ/ルカ両福音書≫はイエスの復活と言う教義を補強する狙いから、この話を挿入したものと見られる。
予言者ヨナの来歴
≪旧約聖書ヨナ書≫の主人公で予言者のヨナは、神から40日後に敵国アッシリアの首都ニネベを滅ぼす計画を知らされ、ニネベに行き『悔い改め』を説くよう命じられた。しかし敵国に行くのを恐れたヨナはヨッパから船に乗りタルシシに逃亡を図った。しかし船は嵐に遭い難破した。船員や乗客は、それぞれ自身の神に祈ったが、ヨナは一人眠っていた。船長から自分の神に救いを求めるよう促されたヨナは一部始終を打ち明け、自分を犠牲とし海に投げ込めば、神の怒りはとけるだろうと語った。岸に乗り付ける試みも失敗したのち、船員たちはヨナを海に投げ入れた。すると嵐はおさまった。大魚に呑み込まれたヨナは大魚の腹の中で、三日三晩祈り続けた。すると神は大魚にヨナを陸地に吐き出させた。それからニネベに赴いたヨナが、40日後に大厄災に見舞われることを知らせ、悔い改めを説くと、ニネベの民は断食して、神に許しを請うた。そのことを知ったアッシリアの王も国民の先頭に立って断食をし、悔い改めたため、厄災は未然に防がれた。

しかし一度滅ぼすと言いながら、敵国ニネベの民を許した神を恨みつつ、ニネベの行く末がどうなるか街角で見守っていたヨナが熱暑に苦しんでいると、神は彼のそばにトウゴマを生えさせ、日陰をつくってやった。しかしヨナが喜んだのもつかの間、神はトウゴマを枯れさせた。ヨナがこうした神の仕打ちに怒ると、神は、「お前はたった1本のトウゴマを惜しんでいるが、12万人の人と無数の家畜がいるニネベの町を神が惜しまないことがあろうか」と諭した。
アミタイの子ヨナが北イスラエル王国の領土が回復されることを預言したと言う旧約聖書列王記下14章25節の記述や、ヤラベアム2世統治下に北イスラエルが実際に失地を回復したことから、ヨナはヤラベアム2世の時代の預言者であったものと見られる。
エフライム族と偶像崇拝

エフライム族の始祖エフライムはヨセフとエジプトの神官の娘との間に生まれた。彼はエジプトで生まれ、ヨセフの次男だった。
ソロモン王の迫害を受けエジプトに亡命したエフライム族出身のヤラベアム1世は、ソロモンの死後、ソロモンの子レハベアムが即位すると、ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族の10支族、そしてレビ族の一部の支持を得て北イスラエル王国を建てたが、亡命先のエジプトから持ち帰った『聖牛信仰』を奨励した(王一12:28-31)。
北イスラエル王国の第13代のヤラベアム2世は、同王国最長の41年の治世にソロモンの時代に匹敵する領土を獲得し、経済的繁栄も絶頂を極めたが、ヤラベアム1世以来の偶像崇拝の伝統を改めなかったと言う。
このため、中央アジアのバルハシ湖付近に存在したとされる『ヤマトウ』や『弓月』の遊牧民秦氏も、ユダ王国の排他的一神教とは異なる、融和的な信仰を保持していた可能性がある。
さて、天遜族がエフライムの末裔だったとして、どうして天皇家は2千数百年にわたりそのことをひた隠しにして来たのだろう。またそんなことがどうして可能だったのだろう。天皇家は、蘇我氏や藤原氏の他、多くの豪族と婚姻を重ねて来た。また武士の二大源流の源氏と平氏も元を質せばどちらも皇家の末裔であり、皇室において生後8日目の割礼が励行されていることは、恐らく『キリシタン禁令』を発した豊臣秀吉も同禁令を継承した徳川家康も知っていたに違いない。正に事実は小説よりも奇なりと言うことか。
諸聖即非の法

 中国唐代の禅僧翠微無学(すいびむがく?-?)禅師が、その師、丹霞天然(739-824)禅師に初めて参じた際、「諸仏の師とはどんな方でしょう」と尋ねた。天然禅師は、大寒のとき仏像を燃やして尻をあぶったことで有名な和尚だが、「完全無欠な生を得ながら、今更諸仏などと言うボロ雑巾を持ち出すな!」と一喝した。無学禅師がたじろぎ、思わず三歩退くと、天然禅師は、「そら間違えた」と叱責。無学禅師が、慌てて三歩前に出ると、天然禅師は、「また間違えた」と怒鳴った。無学禅師は、片足を挙げたものの、進むことも退くこともできず、とうとう身を翻し、部屋から逃げ出した。すると天然禅師は、後ろから「それだ!諸仏を超脱したぞ」と呼びかけた。無学禅師は、こうしてめでたく悟りを開くことができたと言う。<以下次号>

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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