禅宗と景教(両手たたいて商いせん)
<スライドショー:両手たたいて商いせん>
白隠禅師の寺の門前に茶店を出していた『おさん』ばあさんは、隻手の公案に参じる雲水達に「白隠の隻手の声を聞くよりも、両手たたいて商いせん」と入れ知恵した。今回は『両手たたいて商いせん』の公案に参じてみましょう。
因縁所生の法
日本臨済宗中興の祖と言われる、白隠禅師(1686-1769)は「両掌(りょうしょう)相打って音声(おんじょう)あり。しからば隻手(せきしゅ)に何の音声かある」と説かれている。両手を打てば音がするが、立ちどころに消えてしまう。この世の出来事は全て両の手が合わさって生じた音のようなもので、現象(結果)に捕らわれていては実相は見えない。両手を打つ以前の隻手の声を聞きうるもの、父母未生以前の本来の面目に向き合うもののみが真実を知ることができると言うのである。
白隠禅師の寺の前に『おさん』と言うお婆さんが茶店を出しており、隻手の公案(師家が参禅する学人に与える仏教の教義を学び実践するための課題)に参じる雲水達に「白隠の隻手の声を聞くよりも、両手を打って商いをせん」と入れ知恵をしたと言う。これを聞いた白隠禅師は「商いが両手を打って成るならば、隻手の声は聞くに及ばず」と述べられたと言う。
泡沫(うたかた)のごとき現世の生業(なりわい)が一超直入如来地の道と喝破した茶屋の女将の見識は大したものだ。龍樹菩薩(150?-250?)は中論に「因縁所生の法、我すなわちこれ空と説く。またこれを仮名(けみょう)と為す。またこれ中道の義なり」説いており、般若心経には、色即是空とも説かれている。
諸法空相
イエスはユダヤ人に「もしあなた方が私の教えを守るなら、あなた方は真の私の弟子であり、あなた方は真理を知るであろう。そして真理はあなた方を解放する」と語られた(ヨハネ伝8章31-32節)。
朝の紅顔、夕べの白骨、無常のこの世において、真理をつかみ、それを保持し続けることは難しい。不安や煩悩がつきない理由もそこにある。しかし、現世の苦厄が自分に課された神の試練(現成公案)であり、これを克服することこそ自分が成し遂げるべき天命であると自覚するものは、換言すれば、『自分の十字架を負い私に続け』と言うイエスの教えを守るものは、この世に居て既に神の国に生きるものであると、イエスは説かれたものと見られる。(回光庵返照居士:2008/11/16)
- 禅宗と景教≪ヨハネ福音書≫と現成公案[9]隻手の声 -
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【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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