禅宗と景教(鉄牛の機)
<スライドショー:鉄牛の機>
今回は「断ずべき時に断ぜざれば、大乱を招く」と言う、『鉄牛の機』の公案に参じて見ましょう。
文明発祥地黄河
中国の北部を流れ、渤海へ注ぐ全長約5,464キロメートルの黄河の中流には、裴李崗(はいりこう)文化(B.C.5935~B.C.5195)、仰韶(ぎょうしょう)文化(B.C.5000~B.C.2500)、竜山(りゅうざん)文化(B.C.2500~B.C.1700)が、相次いで出現した。
しかし、源を青海(せいかい)省に発し、甘粛(かんしゅく)、寧夏(ねいか)、内モンゴル、陝西(せんせい)、山西(さんせい)の各省を経て河南(かなん)省中部の孟(もう)県以東で華北平野に流入する黄河の下流には、多くの支流から運ばれた大量の土砂が堆積、しかも頻繁に氾濫し、水路も変化したため、極めて不安定で、到底人が住める状況ではなかった。
このため、これらの文化の遺跡は、下流ではなく、中流の多くの支流に臨む小高い丘陵に存在する。
禹の治水と鉄牛
陰陽五行説の神話に登場する三皇五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜)に名を連ねる尭(ぎょう)帝は、黄河流域の平陽(山西省臨汾一帯)を拠点にしていたが、臣下の鯀(こん)に黄河の治水を命じた。
鯀は、低地を埋め立てる『堙(いん)』と言う方法により、氾濫を修めようとしたが、9年を経ても実績が上がらなかった。
このため尭から禅譲を受け皇帝に即位した舜(しゅん)は、鯀を解任し、鯀の息子の禹(う)に治水の任を委ねた。
禹は、水路を開き、堤防を築く『疏(そ)』と言う方法により、13年かけて見事に治水工事を完成させた。禹はその際、『鉄牛』を鋳造し、堤防や橋脚部に水神として沈めたとされる。『五行説』では、『牛』は『土』に当たり、『土は水に克つ』と説かれている。
夏王朝の誕生
舜から禅譲を受けた禹は、17代目の桀(けつ)に至る世襲王朝、『夏』を樹立したとされる。
しかし夏王朝の時代には、青銅器は存在したものの、竜山文化から引き継いだ石器や骨器が中心で、『鉄牛』を鋳造する技術は存在しなかったものと見られる。
開元の鉄牛
山西省永済市の西約13キロの黄河東岸に位置する蒲津で、1989年8月、それぞれ高さ約1.9メートル、長さ約3メートル、幅約1.3メートル、重さ45~75トンの4体の鉄牛が発見された。これは、唐の開元12年(724年)に、蒲津の渡しに吊り橋を建設した際、吊り橋を固定する重しとして、両岸に沈められたものと言う。同吊り橋は北宋の嘉祐8年(1063年)に一旦、再建されたものの、1930年代以降土砂に埋もれていた。
1991年に発掘された鉄牛を含む鉄器群は、現在、発掘現場から12.2メートル離れた場所に展示されている。
鉄牛の機
中国の五代十国(907-960)の末期に、河南省信陽県郢州(えいしゅう)の牧主(地方長官)が、汝州風穴山の風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(896-973)を衙内(州役所)に招き、法会を催した。
演壇に立った風穴和尚は、「達磨が伝えた教化別伝の心印は、夏王朝(B.C.2070-B.C.1600)を開いた禹帝が黄河の氾濫を治めるために鋳造した巨大な鉄牛の機(はたらき)に似ている。押せば印字され、放せば印字の形が現れる。それでは押しも、放しもしない、まさにその時、印か不印か、さあ何と言う」と聴衆に問うた。
廬陂長老
すると廬陂(ろひ)と言う長老が立ち上がり、「自分は初めから鉄牛の機を備えている。祖師の印可など不要だ」と大見得を切った。
すると風穴和尚は「愚僧は鯨を釣り上げ大海を澄ませるのは慣れているが、どうやら蛙を泥沼に嵌めてしまったようだ」と大笑した。
長老が唖然としていると、風穴和尚はすかさず「さあ鉄牛の機とやらを見せてみよ」と一喝した。
長老がたじろぐと、風穴和尚は払子で長老を一打ちし、「どうだ分かったか、分かったら、その証拠を見せよ」と詰め寄った。長老が口を開こうとするとさらにもう一打ちした。
仏法と王法は一つ
このやりとりを観戦していた牧主が「なるほど仏法も王法も一つだ」と感嘆した。
風穴和尚が、「ほう、一体どんな道理を悟られたか」と問うと、牧主は「断ずべき時に断ぜざれば、大乱を招く」と答えた。
これを聞いて風穴和尚は、演壇を退いた。
祖師の心印
『自分は本来鉄牛の機を備えているから、祖師の心印など不要だ』と大見得を切った廬陂長老は、孤峰頂上に盤踞して仏を呵し、祖を罵る気概を示したものの、風穴和尚から「鉄牛の機を見せよ」と詰め寄られると、たじろぎ、馬脚を現した。
すでに悟ったものにとっては、祖師の心印も聖霊のバプテスマも無用の長物だが、この世においては、依然として聖霊のバプテスマを施すイエスや祖師の心印を伝授する風穴のような明眼の師家は欠かせない。
蛇足
従容録によれば、廬陂長老も臨済門下の尊宿と言う。既に禅林において尊宿と尊称されていたとすれば、風穴と廬陂の商量は、「仏法と王法は一つ」、「断ずべき時に断ぜざれば、大乱を招く」と言う牧主の答えを導くために、準備されたものだったと言えそうだ。
イエスの十字架刑も、『人生の初めをその終わりに結びつけてスタートするものは、この世にいてすでに神の国に活きるもの』と言う聖霊のバプテスマの神髄を、あるいは「世界に離散したイスラエルの子らをエルサレムに呼び戻す」と言う大祭司カイアファの理想を、そしてまた「信仰義認」の教理を世界に布教すると言うパウロの情熱を実現するために、入念に準備されたものだったかも知れない。
【参照】
碧巌録第38則 風穴祖師心印
風穴、郢州(えいしゅう)の衙内に在って上堂して云く、「祖師の心印、状鉄牛の機に似たり去れば即ち印し、住すれば即ち印破す。ただ去らず住せざるが如きんば、印するが即ち是か、印せざるが即ち是か」。
時に廬陂(ろひ)長老というものあり、出でて問う、「某甲(それがし) 鉄牛の機あり、請う師、印を搭せざれ」。
穴云く、「鯨鯢(げいげい)を釣って巨浸を澄ましむるに慣れて、却って嗟(なげ)く蛙歩の泥沙にまろぶことを」。
陂佇思す。
穴、喝して云く、「長老、何ぞ進語せざる」。
陂擬議(ぎぎ)す。
穴、打つこと一払子(ほっす)、穴云く、「還って話頭を記得すや? 試みに挙す看ん」。
陂口を開かんと擬(ほっ)す。
穴、又打つこと一払子。
牧主云く、「仏法と王法と一般(おなじ)なり」。
穴、云く、「箇のなんの道理をか見る?」
牧主云く、「断ずべきに当たって断ぜざれば、返ってその乱を招く」。
穴、すなわち下座す。
- 禅宗と景教≪ヨハネ福音書≫と現成公案[6]一円相○鉄牛の機 -
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【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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